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一人ではいかに優秀でも、つながり、連携には勝てない。
孤軍奮闘という言葉があるが、 私は、これを「1人でがんばったが、 やはり大勢には勝てそうもないや、 あるいは、負けちゃった、といったイメージをもっている。 いかに優れたハード商品であろうと、 その関連機器、ソフトの広がりがないと、 やはり孤立型、自滅型として萎える。 古くはソニーのビデオ、やや最近では東芝のVD・・・。 やがて、グーグルの開放性と比較されている あの企業も・・・・・。 開放性、といったイメージを、あれこれ置き換えてみる。 過去の歴史でも良い。あるいは今、目の前で見えるものも。 悉くが、繋がっている。 繋がっているということは、 閉鎖的ではなく,開放性を是としている証である。 としたら、つながり、開放性といったことは、 普遍性ある生き方の思想そのものであることが理解できよう。 ならば、ここで自問自答してみようではないか。 俺が、俺が、我が社、我が社、と自慢話をする俺は、 気分が良かろうが、それを聞いているみんなはどうだろう。 俺の一人勝ちでの有頂天、負けた連中はどうだろう あの国は、どうなのだろうか。北の国、あるいはアラブのあの国など。 世界から、そして国内でも孤立している あの国の首脳者は、戦いを挑む、といった形で、 やはり、他とのつながりを求めてくる。 同情して云うのではないが、 悲しい、寂しい国ではないか。 国民と繋がっていない寂しい独裁者。 そしてそのことがどんなに国民にとって 悲惨なことなのか、悲惨な場なのか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.08.28 06:53:29
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