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家康は、何事かあると、 元管総理同様、いらつき、そして爪をかむ。 この癖は天下を取ったあと、死ぬまで直らなかったとか。 短気な彼は、爪をかんでいらつくのを押さえたのかもしれない。 あるいは辛苦に耐えたのかもしれない。 さらに、いつかはこうした境遇から脱したい。 そして憎き者どもに復讐といった「願」を立てたであろう、 といったこともまた、彼になりきって考えれば容易に理解できる。 この悔しい、あるいは苦しい想いの中で、 いつかは必ず、この状況から脱し、 岡崎で百姓をしながら待っている臣下の苦労に 早く報いてやらねば、といった強い願望を 思い、立てたに違いない。 こうした大望を成就する(戦略の帰結点)ため、 中国の臥薪嘗胆の話同様、一種のトリガーとして爪を噛んだ。 そして、大成してからも、苦しいときの想いを忘れるなよ、 といった身への戒めのためにそれを続けたのかも知れない。 脳力開発の情勢判断学で詰めていくと、どうしてもこうなる。 ともあれ歴史には、確固たる確証が乏しい。 だからこそ、とらわれず、今の私たちは 縛られず、とらわれず、こだわらず 想像を膨らませることができる。 いずれにしても、 「鳴くなら、鳴くまで待とうホトトギス」 といったことが、彼、家康が性格的に 辛抱強いといったことを裏付けるものではない。 ちなみに、戦国を代表する三人の性格になぞらえて、 詠まれた3つの句の作者は、長崎の平戸、松浦家三十四代当主 平戸藩の九代藩主の松浦静山である。 徳川に阿ね、信長、秀吉と対比させ、徳川を讃える、 といったニュアンス、含みがあって当然の経歴、立場の人である。 (先祖は関ヶ原の戦いで、東軍、徳川に付いていた徳川シンパ)。 歴史は、その後の者によって微妙に歪められる、 ということも、あって当然。 そしてそれは、この今もこれからも続く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.11.21 07:24:33
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