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  新聞配達やピンボールで稼ぐ

 第二次世界大戦後が勃発したことで、1924年、バフェット家のも大きな変化が訪れる。大戦という時代背景を反映し、当時、大統領のフランクリン・ルーズベルト率いる民主党に勢いがあった。オマハでは、共和党は民主党に対抗できる有望な下院議員候補として、ルーズベルトのニューディール(新経済政策)を批判していたハワードに立候補を要請した。予想を覆してハワードは当選し、バフェット家はワシントンへ引っ越すことになるのだ。
 この頃にウォーレンは新聞配達の仕事をしていたのだ。彼は最初ワシントン・ポスト紙の配達だけをしていたが、途中でワシントン・タイムズ・ヘラルド紙の配達も引き受けることになった。理由はこうだ ワシントン・ポスト紙のキャンセルが出たら、ワシントン・タイムズ・ヘラルドの契約を勧めることで全体の部数を減らさないようにすることが狙い
 ワシントン・ポスト紙は後年ワシントン・タイムズ・ヘラルドを吸収し、米国を代表する有力紙になる。
 ウォーレンは数十年後 ワシントン・タイムズの大株主兼取締役になる。当時、将来自分がそんなふうになるとは夢にも思っていなかっただろう。
 この十四歳の頃には立派な若い大人の月給に匹敵する175ドルものお金を毎月稼ぐようになる。
 高校生のころとても利口で、数字に強く優等生だった、ドナルド・ダンリーと特に親しかったといわれている
 あるとき、ダンリーはピンボール機械を25ドルで手に入れ、ウォーレンと何時間も遊んだ よく壊れるのでそのたびにダンリーが修理した。ウォーレンはそれを観察しながら、あらたなビジネスを思いついた。それは近所の理髪店にこのピンボールを貸し出すことであった。
 理髪店とは利益を分け合うことで順調に”事業”は拡大した。ダンリーが中古機械を仕込んでは直し、ほかの理髪店に置いて歩き、ウォーレンは帳簿の管理を担当。
 二人はこのピンボール事業を「ウィルソン・コイン・オペレーテッド・マシン・カンパニー」と名づけたのだ「ウィルソン」とは架空の名前だ。まともな事業に見せかけるため、理髪店から、「新しい機械を入れてくれ」と頼まれると、いっぱしの事業家が営むビジネスであるかのように装って「ミスター・ウィルソン」に相談してみると答えたといわれている。「ミスター・ウィルソン」とはほかならない二人のこと。
 最終的に「ウィルソン・コイン・オペレーテッド・マシン・カンパニー」は毎週50ドルのビジネスになっていた。
 1947年に16歳で高校を卒業するころまでに、ウォーレンは親をはじめ他人に一切頼らずに、6000ドル前後も稼いでいたのだ。
 新聞配達、ピンボール機械の貸し出しなどで、投資を始める個人的な原資を手に入れ始めたのだ。 彼は300人以上の生徒の中で20位以内の成績で卒業し、親友のダンリーは主席で卒業したといわれている。





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最終更新日  2006年11月12日 17時26分52秒
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