2021/12/06(月)00:04
わたしに会いたいなら わたしの詩集をひらいておくれ
――<木谷ポルソッタ倶楽部>――――――――――――――――――――
■「ムルギー」という名のカレー屋さん■
――――――――――――――――――――――――<2007/1/15>―――
東京で働いていた三年間、私は池波正太郎さんの本を片手によく散策した。
その本の名前は「散歩の時に何か食べたくなって」という。
そしてね、散策している間に、食べたくなって本の中の店によく入った。
そのひとつに「ムルギー」という店がある。
渋谷の道玄坂付近の入り組んだ路地の奥の奥にあるカレーの専門店だ。
レンガでできたやけに古めかしい玄関を思い出す。
中が暗かった。客が多かった。しかし、やけに静かだった。
店員のおばちゃんが履いていた運動靴の白が鮮やかだった。
おばちゃんはテーブルの間を器用に走り回ってカレーを配っていた。
おばちゃんが「ムルギーカレー」を運んできた時には驚いた。
ご飯がとんがっていた。ピラミッドというか小さな島のように盛られていた。
その周囲を島に寄せる海の波のようにカレーがたっぷりとかけられていた。
そして、ゆで卵の輪切りが五、六枚ほどが漂っていた。
「オオーーオッ」
私はそんな悲鳴をあげたはずである。
それから悩んだ。どうスプーンをつければいいのだろうか。
スプーンでカレーをすくって島の端にかけて、そこにゆで卵を置く。
スプーンでガバッとすくって口に運んだ。
エッ、これは何という味なんだろう。豊潤というかとてもゆたかな味なのだ。
どう形容したらいいのだろうか。う~ん、むずかしい。
ただね、ひと口ごとに幸せな気持ちになっていくんだ。
夢中で食べていて気がついたら皿がきれいになっていた。
「皿をねぶりたい」
本気で思った。最後の最後まで味わいたかった。
あれから十年が過ぎた。東京に行っても渋谷に行くことがない。
「ムルギーに行きたい」
そうつぶやいて、どんどん変化している東京を思った。
ムルギーはまだあるのだろうか。
レンガ造りの古めかしい玄関はまだ形をとどめているのだろうか。
運動靴を履いたおばちゃんはいるのだろうか。
食の想い出というものは、食べるものだけではないのだ。
最近、そのことをしみじみと思う。
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わたしは墓のなかにはいない
わたしはいつもわたしの詩集のなかにいる
だからわたしに会いたいなら
わたしの詩集をひらいておくれ
「坂村真民詩集」より
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