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カテゴリ:広井勇&八田與一
寺田寅彦の「藤棚の陰から」というエッセイに広井勇のことが載っている。
野中兼山は椋鳥が害虫駆除に有効な益鳥であることを知っていて、これを保護しようと思ったが、そういう消極的な理由では民衆に対するきき目が薄いということもよく知っていた。それでこういう方便のうそをついたものであろう。 「椋鳥は毒だ」と言っても人は承知しない。なぜと言えば、今までに椋鳥を食っても平気だったという証人がそこらにいくらもいるからである。しかし千羽に一羽、すなわち〇・一プロセントだけ中毒の これが「百羽に一羽」というのではまずい。もし一プロセントの中毒率があるとすればその実例が一つや二つぐらいそこいらにありそうな気がするであろう。また「万羽に一羽」でもうまくない。万人に一人では恐ろしさがだいぶ希薄になる。万に一つが恐ろしくては東京の町など歩かれない。やはり「千羽に一羽」は動かしにくいのである。 こういうおどかしはしかし兼山に対する民衆の信用が厚くなければなんの効能もなくなることである。 兼山の信用があまりに厚かったためにいろいろの類似の言い伝えが、なんでもかでも兼山と結びつけられているのではないかという疑いもある。実際 十七 もう一つは 故工学博士 少なくも、むやみに 『築港』広井勇著の緒言に、広井が幼い頃、高知県浦戸に遊びに行ったとき、野中兼山が築いた防波堤が二百年の時を経て、安政の大地震で津波を防いで、一村が助かった話を古老から聞いて感動したとある。 「惟(おも)うに港湾修築の事たる、実に国家重大の事業にして、その施設の困難なる土木事業中の最たり。故にこれが計画を立つるに当りては、最も慎重に、最も周到を以てし、百年に竟(わた)りて違算なきを期せざるべからず。 著者〔広井勇〕幼時、土州浦戸種崎に遊び、これを古老に聴く。 該地海峡を扼(やく)する二個の波止〔はと・防波堤〕あり。これ我が邦(くに)工学の泰斗〔たいと・泰山北斗の略:その分野の第一人者〕たるの中野中兼山の築きしものなりと。その種崎村にあるものは、久しく堆砂(たいさ)のうちに埋没し、知るもの絶えてなかりしに、後二百余年を経、安政元年の震災に際し、怒涛襲来し、種崎の一村今や狂瀾(きょうらん)に捲き去られんとする一刹那(せつな)、彼の波止露出し、ここにこれを防止して僅かに一村を全うすることを得たりと言う。ここにおいてか、兼山の施設の永遠に迨(およ)び、その当を得たるを証するに足る。実に技術者、千歳の栄辱は懸かって設計の上に在り。これが用意の慎密遠図を要する、また以て了すべきなり。」 「巻中に引用せし許多の試験及び観測を為すに当り工学士真島健三郎、遠藤善十郎、北村房次郎諸氏の補助を得たるもの少なしとせず。ここにこれを謝す 明治三十一年八月 著者識(しるす)」 *幼い頃の数馬(9歳のときに父と死別し、名を勇と改める)は浦戸湾の入口にあたる種崎村(現、高知市)の海岸で、十数年前に津波が襲来した際、堆砂の中に埋没し忘れられていた堤防が露出して津波を防いだという話を聞かされたと記している。この堤防は、遡ること200年前の1655年(明暦元年)に、野中兼山が造らせたものであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年12月06日 18時02分47秒
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