カテゴリ:日々のまにまに
偶然たどり着いた、とある有名美人占い師さんのブログである。 さすが占い師さんらしく、そこにはイミシンで興味深い考察がざくざく。 思わず一気に読んでしまったってワケ。 (全然関係ないけど、あたしも例にもれず他人のブログパトロールが大好き。 パソコンというツールの向こうに、ときにものすごいパワーを発する文章に出会うことがあるからなの。 それを伝える画面は確かにデジタルなんだけど、文章の中に極めて有機的な人間臭さ、強さ、輝き、オーラみたいなもの?がドトーのように渦巻くブログ、あるよね。 そんな強い強い激しさを抱えて涼しい顔でみんながごく普通に日常を営んでいることの不思議をしみじみと感じたら、なぜだか励まされたような気持ちになる。) その占い師さん。 一度某ファッション誌のパーティでお見かけしたことがある(あやふやな情報ばっかでごめんなさいね、ほら、直接彼女に面識あるワケじゃないからさ、勝手に書けないじゃない)。 あまりに細く、そして「カタギっぽくなさすぎる」色っぽい容貌に、「パーティーピープル?」なんて印象を抱いたんだった。 その玄人っぽさと、目を引く存在感。 白く細い身体がブラックライトに反射するようだった。 ある意味、あれは「華」なんだなあ。 今でも彼女が身につけていた大輪の花模様の黒いボディコンシャスなワンピースを、よく覚えている。 あらら、また話がそれちゃった。 モノゴト整理して説明できないのは、アタマのお弱い証拠だ。反省。 そこには、だいたいこんなようなことが書いてあった。 自分の淋しさを紛らわせるために始まった恋は大概、長続きしない、と。 相手を愛することと自分自身を愛することをはき違えやすいから、だそうな。 自分が抱えるさみしさを克服したとき、相手が色あせて見えるようになる、と。 そこで話は冒頭に戻る。 なんだ?これって今のあたしのことか?なんてふと気付いてしまった。 ブログのウンチクある内容にクビ折れるほど大きく頷きながら、まてよ?なんてギモンがフツフツ。 だって。 ・・・彼を好きになった、そのきっかけは、なんと陳腐にもお粗末にも、 「あたしの話をものすんごく聞いてくれたから」 ・・・だったりして・・・あはは。 めちゃくちゃ癒し求めてますけど・・・。しかもあたし、かんっぜんに受身ですけどっ! さらにその先には、その美しい占い師さん自身の経験として、 「破滅の方向に向かう恋よりも、建設の方向に育てられる愛を吟味したいと思うようになった」と記されていた。 すげー!! あたし思わず、画面にがぶり寄る。 恋する相手を選べるようになる、これこそ!カシコイ女子たる完璧な人生設計への一歩ではあるまいか? だってさ、好きになる人選べたら、いわゆるだめんすなんかに当たらないって、そういう算段でしょ? でもさ~!!! 恋って「このひと!」って決めて落ちるもんじゃなくない?! 気づいたらその状態にハマってる、予測不能なモンじゃない?! 建設的か破滅かなんて、恋の初期段階に判断不可能だわよ。 淋しさを紛らわせるのがその時のあたしに必要なセンテンスだったなら、それが恋する理由でよくない? ほんものはいつだってどんな状態の中からもヨイショっと鎌首もたげて立ち上がってくる生命力を持ってる。 それが破滅の結果に終わっても、それはそのときの自分が呼び寄せた終末の形だろう。 もっといえばそれが必然ということならば、あたしは甘んじてそれを受け入れるさ。 たとえ辛くてのたうち回ってもね。 あたしは自分の本能を信じたい。 ・・・これは負け惜しみか? いや、あたし、これまでしてきた恋を、いっぺんだって後悔したことないよ。 多分懲りないからこそ恋は恋であるんだと思う。 そこに中毒性があって、旅の途中のようにラリってしまうんだと思う。 なんてね。 握りこぶしの熱弁で正当化しようとがんばったって。 これがもうすぐ落下して割れちゃうそうな恋だって、うすうす気づいてるんだ。 始まってしまったらあとは、終わるしかない。 今まで繰り返してきた恋愛ごっこの予感が、この恋にもうっすら漂ってる。 だけどどうしても止められなかった。 始まってしまった。 ☆☆☆☆☆☆ 楽園をイメージするときに決まって脳裏に浮かぶのは、ベトナム・ニャチャンビーチのアナマンダラ(もちろんエヴァソン・ハイダウェイも最高だったけど、ヨガのシャヴァ・アーサナのときにイメージするのは決まってアナマンダラだ)とハレクラニ。 完璧すぎて蜂蜜のように甘い記憶。 どちらにも固いガラスのような、触れられそうに美しい空と海に祝福されている。 世界中から集まった品のいいゲスト、完璧なホスピタリティ。 若いカップルが結婚式を挙げる吹き抜けのロビー。 オンザビーチのレストランでのブレックファーストは、やっぱり大好きなエッグベネディクトかなぁ。 バナナパンケーキも捨てがたいよね。 ハワイが与えてくれたもの。 自分が自分として立つ力。 あの時、見失いそうになっていたもの。 負のエネルギーに飲み込まれそうになっていた弱い自我の、巣から落ちてしまった雛鳥のようなかすかな喘ぎ声を。 そうっと包んで、ふっとその柔らかいいい香りの息であたためてくれた。 ただ、それだけの。 これ以上ない、最高の。 多分、一生あの瞬間を忘れない。 生かされていることを、知ったあの日。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.08.17 15:25:00
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