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今朝の気温は 3℃、晴れたり曇ったりの天気で 最高気温 10℃の寒い一日だった。
明朝の気温は 4℃、快晴で 最高気温」11℃の予報である。 今日は 午前11時に「グンゼつかしん」へ行き Ohshima先生の「ラテン・エアロ45分」を受けた。 今日も体調は良く 皆さんと一緒に楽しく踊って気持ちの良い大汗をかいた。 今から44年前の クリスマスは 今でも忘れられない日であった。 会社の電話に 警察から電話があり 当時 小学一年生だった次男が 自動車に跳ねられて救急病院に運ばれたのですぐ行くようにと知らされた。 タクシーで駆け付けると 次男は出血はなかったが 右足大腿骨が正面から見ると「く」の字に少し曲がっていた。痛み止めの注射で眠っていたが 医師は「今から右足を切断手術をしますので サインを下さい。」と言う。 「何で?」と揉めた結果 病院を追い出されることになった。社宅の隣に義足を作っておられた技師さんに相談して 東北公済病院へ移った。 二男は その日二学期の終業式で 貰った通信簿を近所の叔母さんに見せに行った帰りに 死角になった門を出たところで飛び出して跳ねられ バンパーの高さで複雑骨折した。 車一台しか通れない細道で 普段は自動車も少ないがたまたま昼食に戻った近所の青年に跳ねられた。 新しい病院の医師は「足を切断しなくて良かった。ベストを尽くしますので 皆さんも頑張って下さい。」と 励まして下さった。 ベッドを少し斜めにして 体を固定し 右足の先に紐をつけて滑車を組み合わせて 重りで 大腿骨を真っ直ぐ元に戻して行くことになった。 「体をねじると良くないので 24時間 付き添って監視して下さい。」と言われた。 ジメさんとヨメさんの母親も まだ新幹線もなかったが すぐ仙台へ来て 昼間は付き添ってくれた。 その年の夏休みに「栗駒少年自然の家」の国際キャンプで知り合った 東北大学に留学されていた 中国やインドの先生方が「夜間は勉強しながら監視しますよ。」と机を借りて 時間割を決めて 毎日交代で付き添って下さった。 骨の戻り具合を調べるため 毎日 移動式レントゲン器械を持ち込んで 太腿を撮影される。 ジメさんの広島での甲状腺がんの原因は 高校生の時に受けた放射線治療と思われると知っていたので 主治医に相談したら すぐ10cm厚みの鉛製の金隠しを作って使って下さった。 それでも 次男が結婚した時は 子供が出来ますように 孫がお腹に宿った時は 五体満足で生まれますようにと祈った。 次男は 三学期は全休し 二年生になった春休みに退院して リハビリをしてGW明けに 復学したが 両足の長さも同じで 何の不具合もなく元気で歩けるようになった。 毎年 クリスマスやお正月に家族が集まった時はこの話をするが 本当に沢山の皆さんに助けられて 乗り越えて来れたことを 改めて感謝しています。 明日の予定「エアロビ & ? 」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023/12/25 07:46:32 PM
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