博多祇園山笠 追い山ならし参加。
12日(水)はフィナーレ追い山のリハーサル追い山ならしの日。昨年に続いて二回目の参加となる私は、正月イベントでコラボする和太鼓チームのメンバー2名と共に。唯一の走る飾り山笠である八番山笠「上川端通」。今年のならしは参加人数少なく、約100名。舁き手と後押しだけでも50名以上が必要なため、ほとんど交代要員なく常にどこかのポジションについている状態。お陰様で櫛田入り本番メンバーの見送り側(後方)に就くことができ、痛めてない右肩で。「オイサ、オイサ、オイサ」の掛け声は自分自身に気合いを入れる意味合いもあるが、全員で声を合わせることにより気持ちが高揚して更に力が出る。これこそ「祭りのパワー」か。終了後の爽快感は格別♪☆五番山笠 西流・表標題:強弓一箭裂鬼神(ごうきゅういっせんきじんをさく)・内容説明:源為朝は1139年源為義の八男として生まれ、のちに平氏を滅亡させる源頼朝、義経の叔父にあたります。身長は2m以上。左腕は右腕より12cm長かったと伝わります。正に強弓を使いこなせる体格と云えます。幼い時から乱暴者で、13歳の時に勘当され九州の豊後に追放されますが、並みいる強豪たちを破って3年で九州を平定し、自ら鎮西八郎と名乗りました。後、保元の乱で敗れて肘の筋を切られ弓を使えないようにされ、伊豆大島に流されました。ところが傷が癒えると又暴れ始め、10年後には伊豆七島を支配します。この事態に為朝追討の院宣が下り、20艘の軍船で攻めかかると、為朝は強弓一本で一艘の軍船を沈めてみせ、その後、館で切腹したといわれます。しかし為朝の人気は高く、琉球へ逃れ、為朝の子が初代琉球王になったという異説もあります。為朝の強弓で、この世にはびこるあらゆる災いを豪快にうち砕いてもらいたく、今年の標題としました。☆六番山笠 千代流・表標題:日輪幸慶博多照(にちりんこうけいはかたをてらす)・内容説明:「母の国へ行きたい。」と泣き喚き、父のイザナギから国を追放されたスサノオは、姉のアマテラスに会うために、高天原に登ってきた。たちまち山や川、国土全て鳴りどよめいた。驚いたアマテラスは髪を「みずら」に結い、髪や両手に勾玉や数珠状の玉を巻き付け、背には千本、胸には五百本、矢入れを着け、弓を振り立て待ち受けた。スサノオは「やましい心無し。」と証明するため「誓約」という誓いを立てた。こうした事があって、スサノオの「十拳の剣」からは三柱(宗像三女神)、アマテラスの勾玉や玉飾りなどから五柱の神が生まれた。☆拙著『好き飯』博多の人力車 裸一貫起業術2019年mjn11月21日発売!〜雇われず『好き』な仕事で『飯』を食う〜※「独立起業」なんか無縁で、今の職場で一生安泰だと思ってる方には、お薦めしません。Written by 人力車の博多人力屋以下のリンクをクリックして下さると、一票投票されて人気blogランキングに反映されるシステムになっています(一日一票)。毎日更新の励みになります。↓起業・独立ランキング ご支援クリックいつもありがとうございます!ただいま19位に。