近藤芳美「土屋文明」より(61)
5月6日(月)近藤芳美「土屋文明」より(61)岩波書店近藤芳美集第七巻「土屋文明…鑑賞篇」よりの転載です。『少安集』より(5)磯の上に鯨屠(ほふ)りてくれなゐに血ぬりしところ潮の近づく (昭和十六年)前掲の作品と同じように「き旅(きりょ)五十三首」の連作の中の一首である。北陸の海岸であろう。磯の砂の上に屠ったばかりの鯨の血が赤く流れている。その近くまでいつか海の潮が満ちたかまり、打ち寄せて来ている情景を想像しよう。船影一つ見得ない日本海に、冬のくもりは鉛のように重く垂れているのであろう。悽然とした一首の世界は、そのまま作者の心の世界だったのかもしれない。「波の来るしばしの間耕してすべりひゆの朱(あけ)の茎のこりたり」「国ひくく沈むが如く海に入るうらがれし草や冬萌ゆる草や」「一椀にも足らぬばかりの田を並べ継ぎて来にける国を思ふも」「海の上に冬いなづまのしきりにて磯波くれし道は遠しも」などの作品が同じ一連として並んでいる。いずれも格調の高い、深い内容の歌である。文明文学には『六月風』と『少安集』との間に一つの断層と深化のある事を私は感じている。幾年ぶりか歌を作りていで立ちき敵前上陸にはやく戦死す (昭和十六年)召集令をうけ、戦地にむかって発つときに、幾年ぶりか、珍しく歌を作って送って来た一人の門人があった。それが間もなく戦死した。どこかの敵前上陸で戦死したのである。一首の意味はそれだけであるが、作者の感慨が短い、呟くようなこのことばの中に歌いこめられている。それはきっと妻も子もある、平凡な一人の小市民であり、平和な一生活者だったのであろう。幾年も歌を怠っていた理由も、その小さな、片隅の幸福な生活の安堵のためだったのであろう。戦争はそのような個人の運命を無惨に狂わせてしまう。幾万、幾十万の、たれにもかえり見られない悲劇の累積が戦争の真実である。それを悲しみ怒って文明は歌っているのであろう。「やさしかりし青年君のいで立ち永久(とは)なる国の命(いのち)をぞ生く」「諸人(もろびと)とぬかづく時も吾が目にはありありと見ゆ亡き友四人」などの歌が昭和十六年に作られている。太平洋戦争勃発の前である。これで『少安集』は終了し、明日より『山の間の霧』になります。 (つづく)