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カテゴリ:日々雑感
以前、坊ちゃん電車に乗ったが、漱石時代のものではなく、大正時代のものであったことは述べた。
今日は、漱石時代のものに乗るつもりで、時刻を聞くと1時間半も先だったので、時間つぶしにマドンナバス(市内観光用のレトロバス)に乗った。 このバスのパンフレットに正岡子規が、野球を松山に紹介したとあった。 松山市内には、正岡子規が野球という言葉を作ったという俗説が書いてあるところがある。 確かに一塁手・投手・死球などの野球用語に子規の作ったものが多く残っているが、子規は同郷の弟子、河東に野球を教わっている。 子規が松山に野球を紹介したというのは正確でない気がする。広めたというのならそうだと思う。松山最初の野球チームを作ったのは、子規だからである。 結局、マドンナバスは、1時間もかかったのだが(200円は、安い)、その間、ロシア人墓地では、時間あわせのため数分止まったので、見に行った。大佐の墓が以上に大きく、兵隊のものは、日本人のものに比べても何分の一かという小ささだった。坂の上の雲の秋山兄弟生誕地にも止まるんだけれども、横浜からきたという人が大勢乗ってきたので、見れなかったのは、残念。 ほどなく、坊ちゃん列車(今度は、漱石の時代に走っていたものを復元したものに乗った。300円だが、伊予鉄の定期を持っているので、100円になった。)に乗り、道後まで行った。道後ではじめて、足湯につかってきた(地元なのに初めてとは……)。 ところで、漱石枕流という言葉から夏目漱石のペンネームができたというのは、ご存知ですよね。漱石枕流については、「今日の漢字と四字熟語」を見てください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.10.10 19:25:56
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