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2010.07.22
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ナウムブルク ピアノを誕生させるきっかけとなった、パンタレオン・ヘーベンシュトライト。やはり源流をたどるには、この人物像を追って行きたいと思う。とりあえず彼の足跡を直にたどってみよう。つまり、実際そこに足を運んでみようと思ったのである。まずは、生誕の地から訪れることにした。

 実は、パンタレオンは1667年にアイスレーベンで生まれたという説と1668年にナウムブルク郊外のクラインヘリンゲンという村で生まれたという2つの説がある。おそらく彼の家族がいずれの町にも滞在していて、そのどこかのタイミングで出生となったのではないかと思う。

 ちなみにアイスレーベンはマルティン・ルター生誕の地であり、ナウムブルクはニーチェが少年期を過ごした故郷である。ルターとニーチェという、何とも対照的な人物と故郷を共有しているものである。ちなみに上の写真はナウムブルクのドーム。

くら1ナウムブルクから車で約30分。手入れの悪いガタガタの山道を行くと、クラインヘリンゲンに到着。

 行ってみると、「村」と呼ぶにもまだ小さい集落だった。それに小さな山上の村で、ほぼ陸の孤島と言ってもよさそうだ。村の周りは広い麦畑と放牧地で囲まれており、他の村との交流も当時の交通の便を考えるとそんなに頻繁にできるものではないだろう。

 一番近い隣村はグロースヘリンゲン、つまりクライン(小)とグロース(大)で姉妹村のようになっているようだが、ここまででも約1,5km離れている。

 当時の健脚な農家の人々であればさほどの距離ではなかったのかもしれないが、現代人には山道を1,5キロ歩くのは少々しんどい。

くら2 村の中央には小さなプロテスタント教会があった。
 中世の都市の教会のような大きなものではなく、せいぜい民家を広げて礼拝ができるようにした程度だ。

 今でも村民は100人にも満たないようなので、村人全員が教会に行っていたとしても十分な大きさではある。

 パンタレオンがこの村で幼児洗礼を受けたと言うことは、おそらくこの教会で洗礼を受けたのだろう。


くら3 村の入り口のところに、ペンション兼レストラン兼博物館があった。これがこの村で唯一文化的な施設だった。

 博物館に行けば、ひょっとしたらパンタレオンに関することも何かあるかもしれない・・・と思い、入場料2ユーロを支払い、中に入った。すると・・・
 なんと言うか、埃っぽいというかかび臭いというか、全長100メートルほどのスペースに所狭しと農機具などが置かれていた。展示と呼ぶにはかなり雑な置かれ方だった。

 いろいろな古い器具類などもあってそれなりに興味は湧かないでもないが、パンタレオンに関することは何もなかった。

 要するに、この村の産業は農業と畜産業がすべてで、村人は皆それに関わっていたことになる。パンタレオンがここに住んでいたということは、少なくともその時期彼の家族が農業を営んでいたと言うことになる。

ruta.jpg クラインヘリンゲンから40~50キロ北上したところにアイスレーベンがある。

 この町にはLutherstadt、すなわちルターの町というタイトルがついている。それだけに町中ルター一色である。町の真ん中にはルターの銅像が町を見下ろすように立っている。

特にパンタレオン・ヘーベンシュトライトにゆかりのあるものは見当たらなかったが、ルターの生誕、そして最後を遂げた町として歴史的には重要な町だ。

ルターゆかりの地としてはアイゼナハ、ヴィッテンベルクがあるがこちらの2つの町は「地球の歩き方」にも載っている。しかしなぜかこのアイスレーベンは載っていない。
だから、この際書いてしまおうというわけである。

あい2 1483年11月10日にこの家でマルティン・ルターは誕生した。この建物はルター生誕の家として、ユネスコ世界遺産に指定されている。
ルターの一家は出生後1年足らずで引越したということで、ルターがこの家に住んでいたのはさほど長くはなかったようである。
1689年に大規模な火災があり、そのときに焼けてしまい、今あるものはその後建て直されたものである。

2005年から2007年にかけて改築が行われていたが2007年3月に再びオープンした。


ai4 ルターの生家のすぐ裏手にあるのがこの聖ペトリ‐パウリ教会である。後期ゴシック様式で建造された中規模のドーム型の会堂である。
少々奥まったところにあるので、ちょっと見つけづらい。

 ルターは誕生したその日にこの教会で洗礼を受けた。講壇上にはそれを記念する石文がある。
 
 内装で特徴的なのは伝説でキリストの祖母、マリアの母と言われていたアンナの肖像である。
 このアンナは中世においては聖人として尊ばれていた。

DSCF0682.jpg ルターは1546年2月18日に生涯を閉じた。この家はルター晩年の家として生家と同様にユネスコ世界遺産に指定されている。

 ところが、ここは実際にルターが最後を遂げた場所ではないらしい。1726年、オイセビウス・フランケという歴史家によって誤ってルターの家ということにされてしまった。それを受けて1862年アイゼナハ市がここをルターの最後の家として登録してしまい、1894年にルターゆかりの場所としてこしらえてしまった。
ここは現在ルター博物館となっている。

あい1本当のルターの晩年の家はマルクトに面したMarkt 56番地に位置する建物だそうである。その建物は現在では「ホテル グラーフ・マンスフェルト」として使用されている。
右の写真の左端にようやく写っている。






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Last updated  2010.08.09 05:32:45
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