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カテゴリ:新聞など拾い読み・政治関連?
以前載せていた、「迷宮の少女たち」のシリーズが先日から載っていまして、昨日はその11回目。“自立”「娘は私の代わりに行動」として、こんな風に述べられていましたので、そのまま引用させて頂きます。
『真帆が家出するしばらく前、母親の綾子は紹介された相談機関でカウンセリングを受けた。 「みんな自分の責任なんだって考えるばかりで、何もできなかった」 真帆が高校にほとんど行かず、クラブで遊んでいるのも、キャバクラでアルバイトしていたのも知っていた。 「先生の扱ったケースだと、女の子に万引きとか飛行は、お母さんの変わりに行動している、と言われたんです」 綾子は「なるほど」と納得してしまった。 ▽崩壊の瀬戸際 「娘をかわいそうに思いましたよ。でもどこにも居場所がない思いは、実は私の中にもあって、それに気付かされたんです。娘は私の代わりにやっている。じゃ、私が変わらなければって」 ではどう変わるのか。 まさに真帆が「迷走」しながら葛藤していた自立の問題に綾子地震も突き当たった。 事業の行き詰まり、夫婦関係の険悪化、真帆の家出。家族は崩壊の瀬戸際に立っていた。 変わるといっても、綾子は八方ふさがりの経済状態を夫が何とかしてくれるだろうと、支えるのに精一杯だった。 「主人はアイデアのある人で、自分で責任をとるつもりでいろいろと事業に手を出すけど、結局、どれもうまくいかない。娘が中学の終わりことからはそれが激しくなって、しわ寄せは最後は家族にきた」 行き詰まりを解消しようと、夫があれこれ事業を始めては綾子がその尻ぬぐいをする繰り返し。綾子が支えるほどに、皮肉にも家族はバラバラになり窮地に追い込まれていった。 綾子がその関係から抜け出そうとしない限り、自分を変えることや、真帆と向き合うことなど実際は難しかった。 ▽サイン 綾子が夫からの自立を本気で考え始めたのは、真帆が家出をした後だった。 「主人にこのまま協力していても、結局、私が甘えられてしまう。主人に頼っちゃ駄目だ、何も変わらない。自分でやっていこうと思うようになって」 綾子は真帆にも面接した相談人の言葉を思い出した。 「娘が言えを出たい、出たいと言うんで、先生は『だったら出なさい』って言ったそうです」 綾子にとって真帆の家出はショックだったが、それは形ばかりの家族から自立を宣言した真帆のサインにも思えてきた。(登場人物は仮名)』 また、アルコール依存症 認識深めて 一般応募の2人初舞台として神戸の劇団「ひっぽ」のことがこんな形で紹介されていました。。。 『アルコール依存症の予防啓発劇を目標に、神戸市須磨区の劇団「ひっぽ」が初めて開講したワークショップの“卒業”公演「あなたが目覚めたとき」が26日午後3時、神戸市中央区中山手通6、生田文化会館で上映される。演劇を基礎から学び、依存症の勉強もしてきた女性2人が初舞台を踏む。 「ひっぽ」は、アルコール・薬物依存症の啓発を目的として1992年に発足。現在は医療・福祉関係者や主婦ら6人で、学校公演などを続けている。 ワークショップは、役者として依存症を体験してもらおうと企画した。同市垂水区在住のベビーシッター川浦晴美さんと、同区の市立福田中学2年の竹尾侑華さんが応募。二人とも演劇経験はなく、昨年6月から月2回土曜日に発声やダンスを学び、依存症の勉強会にも参加してきた。 劇はオリジナル、ある作家が、編集者の女性から依存症の悲惨な実態を聴き、作品を執筆するというストーリーだ。川浦さんは酒びたりの男の妻、竹尾さんは娘の役で、劇団員2人と共演する。 川浦さん演じる妻は、暴力をふるう夫の言いなりに。「本人も、家族も苦しいことを劇を通して伝えたい。依存症が病気であり、治療できることも知った」と語る。 竹尾さんは当初、口数が少なく、自己紹介も難しかったというが、10ヶ月の練習を経て、酒を断てない父に戸惑う娘を熱演する。「回復を願う家族の気持ちを体験できた。お芝居が楽しい」 演出担当のひっぽ代表西谷由紀子さんは「ワークショップが、病気を理解してもらう入り口になるとの手応えを感じた。劇は家族の物語。親子で観に来てほしい」と話す。 当日はあ、アルコール依存症の回復者によるメッセージ披露につづいて上演する。前売り800円、当日千円。託児サービスは要予約。6月に始めるワークショップの二期生も募集している。西谷さん(ぽちぽちはうす内)電話078・736・0662 二人の母にささげる1勝 震災乗り越え夢舞台で飛躍として紹介されていたのは、今日付けの地元紙。神戸国際大付属高校 井内選手。 『「天国の母は忘れられない人。でも今の母にも感謝している」。24日の第二試合、逆転で甲子園初勝利を上げた神戸国際大付属高校。攻守でチームに大きく貢献した井内良介外野手は二人の母親に勝利をささげた。 井内選手は阪神・淡路大震災で自宅が全壊し、母と弟を一度に失った。父の健一さんんが京子さんと再婚したのは、井内選手が小3のとき。初対面の印象は、「人懐っこい子」(京子さん)「少しわだかまりがあった」(井内選手)だった。 野球を始めたのもそのころ。毎日、親子3人でキャッチボールをした。以前はどこへ行くにも一緒だったが、5年生になるころは、もう外出先について来ることはなくなった。「野球に出会って、息子はどんどんたくましくなった」と京子さんは振り返る。 試合は息詰まる投手戦。井内選手は駆けつけた両親の声援に応えるように、抜ければ長打となる大飛球を5、6回に続けて好捕。守備で勢いに乗ると、先制された直後の8回には左前にはじき返す同点打を放った。 「今までの僕なら打てなかったけど、気迫で打った」と井内選手。 「打席に立つ息子が、今までより大きく見える。こんな日が来るなんて…」と目を赤くする京子さん。 試合後、あまり連絡のない井内選手から「打ったん、見た?」とメールが届いた。 「息子は私たちの誇り。次も信じて応援したい」。母の祈りが優しく息子を包む。(広畑千春、中西幸大)』 義理の親子の間でも、こうした交流が図られる。本当に素晴らしいと思うし、母親となられた京子さんと、井内選手の間には色んな葛藤があったと思う。でも、かつて、ソフトボールをやっていたという京子さんが、3人でキャッチボールという名案を考えつかれたのかなと。スポーツを通してご家族が一つになれる。。。何かのヒントになりそうな、そんな気がしたので紹介させて頂きました。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.03.25 10:06:50
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