という言葉を見つけたのは21日付け地元紙の『正平調』というコラム欄。まぁ、読んでみてくださいな。というわけで、そのまま引用させていただきます。
『二人の父親は涙で言葉にならなかったそうだ。滋賀県長浜市での園児刺殺事件で殺害された二人の合同告別式が、昨日あった。(新聞そのものは21日付けになっていますので)その最後のあいさつである◆父親の気持はよくわかる。自分がその立場としても語る言葉は思いつかない。安心して子どもを託したグループ登園中の事件だ。付き添った別の母親に殺害されるなんてだれが想像するだろう。怒りや悔しさ、無念の思いは、言葉では表せない◆二人の遺影が祭壇でほほえむ。屈託のないその笑みが、インドの詩人タゴールの一節を思いださせた。「すべての嬰児(えいじ)は」と書いて、詩人はこう続ける。「神がなお人間に絶望していないというメッセージをたずさえて生まれてきている」と◆5歳児といえば、この汚れを知らない嬰児の姿をどこかに残した年齢だ。大人の愛情や善意を疑わない。その子どもたちに突然包丁を向けるとは、なんと残酷な光景だろう。「仲間に入れてもらえない」という供述と犯行との大きな落差に戸惑う◆京都府宇治市の学習塾女児殺害事件の初公判も昨日だった。傍聴後に会見した父親は、女児が手帳に書いていたくだりを語った。「大事なもの」として、彼女は「友達、家族」と書き残す。12歳らしいその優しさを、元塾講師が断ち切った◆このところ、子どもが被害に遭う凶悪犯罪があまりに多い。平成17年犯罪白書によれば、守るべきわが子を両親らが虐待する事件も急増する。タゴールの一節に書き足さねばならないようだ。「そして、大人が神を絶望させる」と。』
実はもう木曜日。火曜日付けの地元紙で見つけたことを書くには余りにも間延びし過ぎな気は否めないけど、どうしても最後の一節が心に突き刺さりましたので、敢えて。。。