『生命の尊重ー生命倫理の観点からー』と題して秋季恒例のセミナーが開催されたのは10月28日の土曜日。
「自殺の現状」に始まり、「自殺はなせしてはいけないのか」-「自殺者の主張」、「生命の尊厳性」・「生命の神聖性」などについて哲学~総合科学部教授・熊谷正憲氏が準備してくださったレジュメを基に講義は進められた。
例えば、『自分のように社会に何ら役立たない・貢献しない人間が、生き続けていることは他人に迷惑をかけ、自然資源・社会資源を浪費するだけだ。自分の存在は他人にとってどうでもいいものであり、むしろ社会にとっては「悪」となる存在だ。自分を殺すことは、社会悪を防ぐことであり、むしろ善の実現になる。自分が死ぬことによって、保険金が入り、それによって助かる人もいる。』といった主張にどう反駁できるか。と投げかけられる。。。
また、(人間の)生命の尊厳というヒューマニズムの立場から考えるとき、
ヒポクラテスの誓い…「頼まれても死に導くような薬を与えてはならない」=医学生は必ずこの誓いを立てさせられるのだとか。
プラトン…「自分で自分を殺すのは神意にもとる」、「神々が私たちを見守っておられ、私たち人間は神々の持ちもののひとつなのだ」
ジュネーブ宣言(1948)…受胎の瞬間から人命を最大限尊重する」とあり、人間の生命は1.侵しがたいもの、2.支配できないもの、3.合理的に分からないものを持ち、それ故、4.まさに「絶対他者」である。(参照:R・オットー『聖なるもの』岩波文庫)
そして、私にとって極めつけだったのは、中国では評判の漫画『波の悟り』というもの。ハワイ大学の教授が英訳されたと紹介してくださった。
『自分はこんなに小さいけれど、他の波なあんなに大きくて自分は何と惨めなんだろう
他の波たちが、どんなに苦しんでいるか知らないからそんなこと言えるんだ
波の素はみんな同じ水で、波は一時的な姿でしかないんだよ
「水」だとわかればお前の苦しみは消えるだろう
全て大きな物の部分なんだ 私もあなたも波なんだ 水の中では一緒であって、
大きい、ちいさいで悩むことなんてつまらないことなんだ』と。
同じ自然に属するものなんだ!という言葉は、とても大きな気持ちになれる気がして、これぞ、トランスパーソナル心理学に近づいたことになるのかな。だからこそ、この大自然に生かされている私たちが自然に逆らって「死」を選ぶということは言わばルール違反なんだ。ということ。ただ、『宗教的に「輸血」が禁止されていたり、(手術中に輸血したことに対して患者が医師を訴え、最高裁は患者側に軍配を)また、回復不可能な遷延性植物状態となった3年半後に両親は裁判所に対し、生命維持装置を停止し、死なせてあげることが合法だとする宣言の採択を求めた。どういう判断が下されるべきか。』という事例に突き当たったとき、それが「自殺」と判断されるのかどうか、かなり難しいものはあるけど。