地元紙の教育欄に、今日は『オシエテ先生』シリーズの5回目として、タレントの和泉修さんのことが紹介されていた。そのまま引用させていただきます。
『大学の授業で、なんばグランド花月(大阪市)を訪ねて漫才を見る。さすが“笑いのまち”大阪だ。指導するのは、吉本興業所属の人気タレント、和泉修さん。
2005年4月に大阪産業大(大阪府大東市)の客員講師に就任。人間環境学部で「笑いの文化論」を教える。笑いを通じたコミュニケーションがテーマだ。
漫才を見るといっても、漫然と楽しむわけではない。劇場に行く直前に、大学の教室でみっちり講義。実際の話芸に触れ、笑いが起きるメカニズムを確かめるのが狙いだ。
和泉さんの講義では、哲学者によって提唱された「協調の原理」や「丁寧さの原則」など、コミュニケーションの難解な概念も出てくる。違反すると、会話が会話として成立しなくなったり、相手の気持ちを害したり傷つけたりする約束事のようなものだ。
意識的にこれらの原則の逆をいくことで、人を笑わせることができる。こうした知識がないと、笑われることはあっても、笑わせるのは難しい。和泉さんは、漫才師の話芸などを例示しながら、講義を進める。笑いとは奥深いものだと、記者は感心することしきり。
つかみ、ぼけ、つっこみ、かぶせ、三段落ち、すかし・・・。和泉さんは、こうした笑いのスキルを数え上げ、笑いは娯楽だが、ちゃんとした文化の一つ」と説く。
「大阪のオバチャンはこうしたスキルを持ってるのに、若い人に受け継がれていない。家庭でも会話が少なく、スキルを使いこなせていない」と、お笑い文化の衰退を危惧(きぐ)する。
講義では、学生にペアを組ませて漫才の台本を朗読させる。昨年は学生に漫才の台本を作らせ、最終講義で実演させた。今年も続ける予定だ。神戸市の小学校でも授業を持っている。漫才を取り入れて、子どもに変化が表れたという。「人に伝えようとすると、いい声になる」
親や周囲も影響をうけて変わっていく。「笑わすって大事なことやなんて、気づいてもらえたら。楽しい環境をつくれる人になってほしい。これから社会に出て行く人が変わらないと、何も変わらない」。未来を見つめるまなざしは輝いていた。
いずみ・しゅう 1962年大阪府生まれ。タレント。浪速高校、同志社大を通じてボクシングに打ち込み、高校総体で優勝、プロボクサーの経験もある。清水圭さんと漫才コンビ「圭・修」を組み、2001年に解散後、高山トモヒロさんと漫才コンビ「ケツカッチン」を結成』
家庭でも会話が少なく。。。という一文では、確かにそうかも知れない。と思ったのは、義姉宅での初盆の法要の帰りのこと。夫と義母、私の3人が車に乗って家までの間に3人が交わした言葉は全くなし。無言のままの帰宅となってしまった。暑いし、疲れたせいもあって言葉を交わす気になれなかったのも事実だし、他の列席者はまだくつろいでいらっしゃる中を中座するかたちでの帰宅だったからか。行くときは姪の子どもが同乗していたから、少しは賑やかだったのに、何ということだろう?だからかな、他のところで私がお喋りになってしまうのは?