今朝の地元紙一面トップを飾ったのは『谷破れ「銅」』の大見出し。見たことも無いような、谷さんの表情をとらえた写真だった。
私はその横に『2 守れ小さな命』という見出しに目が行ってしまった。日曜日に『兵庫人』という大見出しで兵庫で活躍される人を紹介するコーナーがあるので、そのまま引用させていただきます。
『今年4月、創立120年を迎えた神戸市垂水区の佐野病院。伝統ある総合病院に11年前、国内で初めて「院内助産所」が設けられた。
ここでは、安定期に入った妊婦が、医師による分娩台でのお産か、助産師が外来から出産まで付き添う自由なお産かを選ぶことができる。妊娠22週以降で、経過が正常ーとの条件が付くが、医師が常駐している病院だから、緊急の場合でも的確・迅速な対応が可能だ。
「助産は、すべてがフリースタイル。畳の上や浴槽内、立ったままでも寝転がっても好きな体勢で産んでもらう」
産婦人科医三浦徹が追求したのは「人間らしい動物らしい自然なお産」だ。
神戸医科大(現神戸大医学部)出身。約40年前、子宮がんの患者から、宗教的な理由で輸血なしの手術を求められた。当時、兵庫県がんセンターの医師だった三浦は「とんでもない」と何度も断ったが、患者も譲らない。細心の注意を払って出血量を抑え、子宮を摘出、手術は成功した。
「どう生きて、どう死ぬのかを決めるのは患者自身。患者の立場に立った医療の大切さを学ばせてもらった」
以後、情報開示を徹底して、患者には「希望する治療法」を提供するようになった。
この体験は三浦のお産に対する認識をも変えた。さながら「機械を扱う工場」のように、必要以上に分娩監視装置を付ける当時の産院。母子の安全を重視するあまり陥ってしまう、異常なまでの管理主義に疑問を持ち始めた三浦は、どう産むのかも妊婦の希望を尊重すべきと考えるようになる。その思いは10年後、院内助産所という形となり、全国に広がっていった。
昨年1月、病棟内の5階を全面改装し、出産を総合的に支える「ばーすセンター」を新たに設けた。ホテルのような快適な空間。「出産は病気ではないことを浸透させたい」と、2階の産婦人科と助産科からあえて切り離した。
今年7月末現在、院内助産で誕生した命は1115人。「自分らしいお産」を求めて、きょうも予約が入る。
一方で、県産婦人科学会長も務める三浦は、崩壊の危機に直面する産婦人科医療について「先の見える具体策がない」と指摘。過重労働と、他の診療科に比べて高い訴訟リスクが、若い医師をためらわせる。
「でもね」と三浦は続ける。「僕らは若いころ病院に泊り込み、喜んで治療に当たったものだ。熱い医師魂を持った若者は必ずいる」
13年前、心筋梗塞を患った。大事には至らなかったが、「自ら病気を経験したことで患者側に立とうとの思いをより強くした」と話す。
「人の生と死にかかわることができる僕は本当に恵まれた産婦人科医。兵庫から日本の産科医療を再生させたい」
三浦の挑戦は続く。(敬称略)』
確かに、出産は病気ではないけど妊婦への負担は相当なものだと思う。経験が無いだけに、結局は“人ごと”になってしまうけど、現在妊娠中の方も、これから出産を迎えようとしている方も、どうかご無事で!と祈らずにいられない。
そして始まる長い長い『母』としての生活。十月十日の比ではないけれど、安心して子育てができる環境を整えるために、一体私は何をすれば良いのだろう?