ずうっとシリーズで掲載されていたと思う。8日付け地元紙くらし欄。『心が見えますか』の9回目。精神科医でもあり、作詞家でもある、きたやまおさむ氏述べていらっしゃいますので、そのまま引用させていただきます。
『かつて日本人は、人間の腹の中をのぞくことができなかった。だから、解剖学は医学の基本だが、その始まりである「腑分け」においては、「神経」や「心臓」などの名前を付けることが初期の解剖学者の仕事だった。おかげで内科でも外科でも、これが腎臓と名指すことで、治療的に取り扱えるのである。
心の解剖学でも動揺に、目に見えない「腹の中」について、言葉で名付けることが、その取り扱いのためにも重要である。そこで、不安、衝動、葛藤、欲望というような言葉が活用されるのである。
そういう語彙をまず学んだ上で、この「腹の中」の思いに耳を傾けていると、面白いことが観察される。それは、安心できる場所で安心できる相手と面接を重ねていると、人間の話が過去へとさかのぼるという傾向である。それで見えてくるのが「三つ子の魂」と言うように、人間は幼いころから同じことを大人になっても繰り返すという現象である。これを「スズメ百まで踊りを忘れず」とも言う。
私たちは、幼いころ、心の柔らかいうちに書き込まれた台本を、その後も無意識に相手役を代えながら繰り返すという「過去からの反復」が癖、業、性になっているのだ。特に問題行動や症状を抱えている人々は、その台本を悲劇やまずい筋書きとして、あるいは逃避や失敗という形で繰り返しておられる。そして、この反復をとらえ、ふさわしい言葉で描き出すという作業が、治療の第一歩になりうる。
例えば、母親や父親とやったことを、結婚してからも配偶者を「父さん」「母さん」と呼び合いながら繰り返している。そして、勝つのが怖い、貧乏くじをひく、苦労性、お山の大将、悲劇の主人公、権威に反抗する、甘えん坊、などという生き方は、重要な他者を相手にして繰り返される台本なのだ。
だから、この文章の読者も、多少警戒しながらこれを読んでおられるかもしれぬが、その警戒する態度がかつての父親に対する態度の反復かもしれない。そう考えてみるなら、自分の反復が少し見えてくるかもしれない。(精神科医・作詞家)』
歴史は繰り返すというけれど、こんなところに原因があったのかなぁ。過去に遡って。という心理療法はあったと思う。論理療法と組み合わせたり、また森田療法のようにあるがままを受け入れるところから始まったり。。。
何をしたいのか。を言う前に、日常だと仕事のことがメインになってしまう。それでも、朝目覚めて一日が始まる。適度に排便があって夜には安眠。たったこれだけのことだけど、身体が頑張ってくれている。凄いことだと思う。これが機械なら方法に従って操作しないと動いてくれないのに。
「三つ子の魂」と、ある種のトラウマ。ギョッとしたことは一生忘れられない。父親からはよく「おじみそ」とバカにされていた。物怖じ、特に危ないことは避けてきた気がする。何かしようとすると、先ず危険を想定している。だから動けない。。。外で遊ぶことが本当に苦手だったから、部屋の中で過ごすしかなかった私。
今は。。。?確かに、グランドでスポーツなんてこととはまるっきり縁がないなぁ。部屋の中で過ごすことの方が遥かに多い。でも、コレって本当は身体には一番悪いこと。今更何を。だけど、歩ける機会があればどんどん歩かなくっちゃ。