淡路市にある“しづのおだまき”で本当は7月2日が開講日だったのを、私は神戸市へ出ていたもので、今日が初めての見学となった。受講の申し込みもせずに、いきなり会場へ押し掛けるのはどうかと思いつつ、1階で、懐かしいお顔に出会えたので、訳を話して見学させていただくことに。
テキストに沿って講義が進み、“要約筆記とは”のビデオを観る。7月24日には、“淡路OHPの会”のメンバーが頑張って入れた字幕入りの映画上映があるという案内をいただいたのに、私は京都。なので残念だけど立ち会うことはできない。
字幕は、字幕用のソフトを使ってパソコンで、映画のシーンに合わせて文字を入れるという作業を根気よく続けることになる。
難聴者にとっては、聴こえていたのが、突然聴こえなくなるという不安がとても大きい。でも、情報を得る手段というと、文字とかの視力に頼るしかない。音楽さえも聴くことができなくなってしまうのだ。
普通に今まで会話できたことが突然できなくなる。そして、疎外感に襲われてしまう。何しろ突然聴こえなくなってしまうのだ。聾の人は生まれたときからのことが多いため、学校などで手話を習う機会に恵まれているので、手話を覚えることができても、難聴者の場合、年齢を重ねていることもあり、聴こえなくなったからと、いきなり手話を覚えることはとても難しい。なので、文字による支援などが必要になる。1対1で支援を行うときは、難聴者の横で“ノートテイク”と言って、書いた文字を難聴者に読んでいただく。あくまでも通訳なので、話し手の言葉を伝えるということがとても大事になってくる。
オーバーヘッドを使ってスクリーンに映すので、文字の大きさや、行間。また文字を書いたときの下の線も揃っていないと、とても読みづらいものになってしまうので、読み易さ。ということもとても大事になる。書きかけて途中で止まってしまうと、これも難聴のかたには戸惑う原因になってしまう。
話すスピードに追い付こうとすると、とてもじゃないけど間に合わない。なので、キーワードを書き漏らすことなく難聴者に伝える。不必要な言葉は全て省略。かなり高度なテクニックを要する技術でもあると私は思う。
見学だけのつもりが、ロールや白い手袋をいただき、実習のときには講座生と一緒になって文字を書いてみる。書いたのはオーバーヘッドで実際に映し出されてしまう。読み易さを考えると、まだまだ理想には程遠いけど、何とか綺麗に書けるように練習しないと。油性のマジックなので、普通に使うボールペンとは全く違う。でも、慣れないと始まらない。
毎週土曜日と分かっていながら、来週はまた神戸へ。なので欠席。でも翌日の日曜日に、これもパソコンを使った要約筆記の学習会があり、その後定例会があるということで、これも見学に行かせて貰うことにして、会場を後にした。