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珍しく、母は半袖のブラウスを着ていた。施設は快適に温度調節されていて、夜間は寒いくらいだという。暑がりの母には丁度良いのかもしれない。終の棲家となってしまう、特別養護老人ホーム。全盲となってしまったから、要介護度は上がるらしい。といって、今現在の要介護度がどれだけなのか、私にはわからない。
母には妹が二人いて、一番仲の良かった中の妹が先に逝ってしまった。末の妹は大阪府下に住んでいて、昨年旦那様を亡くされた。でも、跡を継いでくれているのは娘さん。そして、その孫が三人姉妹。なので、寂しいという思いに浸る時間は無かったのじゃないかな。おまけに、中の孫が理学療法士の資格を持っていらっしゃるので、リハビリはお手の物。それでも、パーキンソンを患い、きつい薬のせいで色々副作用も出てしまうようだ。
母には子どもが二人。しかも私たちは双子。女手の無い家での子育ては本当に大変だったと思う。
母が一体何時頃から白内障の治療を始めたのかはわからない。眼内レンズも入れた。そして、やがて緑内障になり難いような治療を施した筈なのに、緑内障で視力を奪われてしまった。というか視野狭窄が進んで、視野がアウトになったと言う方が正確なのかな。内科的な問題はどこにも無いのに、目だけがアウト。なので薬も眼科に関するものだけ。末の妹に比べれば随分元気だということになる。年齢差はいくつなのか、ちょっとわからない。中の妹とは、確か二つ違いとは聞いていたけれど。確か、末の妹さんの旦那さんと母は同級生だった筈。
この二人をついつい比べてしまう。どちらも旦那様には先立たれてしまった。目さえ見えれば母は相変わらず自分の家で一人暮らしを続けられただろう。妹はというと、入退院を繰り返し、元気になったら近くの施設のデイサービスを利用しているようだ。娘が居て、孫もすぐ近くに住んでいて、玄関脇で始めたクリーニングの取り次ぎの手伝いに、末の娘も毎日来ているので、全く一人になるということがない。
母は、ずうっと父が会社勤めをしていたこともあり、玉葱の出荷作業は一人でこなしていた。これで母は随分無理をしたのだと思う。正味22キロ入りの玉葱のコンテナを5段も積み上げる。そんなこと、私にはとてもできない。一人で何でもこなしてきた母。
中の妹にしても、旦那様を随分早くに亡くされたのでずうっと後家さんで頑張っておられた。優秀な孫の成長を誰よりも楽しみにしていたけれど、結局は肝臓を悪くしてあっけなく逝ってしまった。母や、実家にとってもなくてはならない存在だったし、母とはあまりにも違う上品な物言いは、祖父が入院したときにも、ずっとこの叔母を頼ることになったし、祖父自身もこの叔母に世話にきて欲しい風だった。私には祖父の気持ちがとてもわかる気がしていた。
母は、神戸市内のとある耳鼻咽喉科で看護師の真似ごとをしていたらしい。そして、この叔母はというと、家政婦さんだったらしい。姉妹で自然と役割分担ができていたのかどうか、看護師と家政婦ではまるで違う。でも、それはそのまま母とこの叔母を表している気がしていた。母などに家政婦が務まるわけがない。
ずっと痛いといっていた足の巻き爪。最近になってようやく痛みからは解放されたようだ。なので、歩行訓練も再開したようだ。家では絶対に松葉杖を離せなかったのに、施設では車椅子。整形外科入院中も車椅子の生活の期間があったから、母は車椅子の扱いには慣れているけど、目が見えないので、職員さんの手を借りることになる。歩行訓練にしてもそうだ。右とか左とかを誰かに言って貰わないと進む方向がわからない。
母らしい生き方なのかどうか、人工股関節の手術を何度もしているので、その度に3カ月余りの入院生活をしているので、家事から解放されることが母にとっては何よりのことだったようだ。今も、言ってみればあげ膳、据え膳だから母にはこの上ない生活なのかもしれない。ならば、せめて一日に一度は施設へ私が顔を出すぐらいのことはしないといけないのかな。
叔母には叔母の生活があり、満足するもしないも、腎臓に疾患を抱えてしまったようで、味は強制的に薄いのにされてしまう。食堂を営んでこられて、美味しい味に慣れ親しんでいたのに、薄味では満足に食べられないかもしれない。それでも何か楽しみを見つけて、娘さんや孫たちに囲まれて穏やかに日々を過ごして欲しい。