遊牧民族「匈奴」を深堀してみた☆彡
私的なことで恐縮ですが、20数年前に読んだ中で「匈奴」に関するものがありました。当時は、近くに磐田市の中央図書館があるので主に歴史に関する本や時代小説、新書などを借りてきて読んだものでした。現在でも同じですが、書物を読む習慣として、自分自身の理解がしやすいようにノートに①年表、②相関図、③系図、④特記事項などをメモしながら読んでいました。 今回の「匈奴」については、最近、断捨離をしていて、たんすの奥に置かれた段ボール箱に入った当時の「バインダーノート」を見つけました。中味は①日本の歴史(古墳時代から平安前期まで)、②韓国の歴史(一時夫婦ともに韓流歴史ドラマにはまったことがありました)、③中国の歴史(特に秦から漢、三国時代など)などでした。断捨離の中で処分しようかと思いましたが、いろいろと不完全ながらもそのときに感じたことが書かれており、懐かしく思ったこともあり残すことにしました。みてみると、当時の関心、視点と現在それらをどう受け止めるかについて関心もあり、あらためてその整理もしながらまとめてみようと思いました。(引用文献:「匈奴」古代遊牧国家の興亡、沢田勲著)※wikipedia「匈奴」は、紀元前4世紀から紀元5世紀にかけて中央ユーラシアに存在した遊牧民族および、それが中核になって興した遊牧国家(紀元前209年 - 93年頃)。モンゴル高原を中心とした中央ユーラシア東部に一大勢力を築いた。※「匈」「奴」ともに漢語における悪字で、匈は胸に通じ「匈匈」は喧騒・騒乱を意味する、奴も下に見た呼び方で、「匈奴」は騒乱を起こす連中の意、これを周・春秋戦国時代の北方民族の音写「葷粥」「胡貉」「昆夷」「玁狁」に当てたとする説がある。民族系統は解明されていない。今回は「古代中国国家」と対立の歴史を取りあげてみました。「匈奴」というのは高校時代に中国史を学ぶ中でかすかに知った民族でしたが、当時は受験勉強中心でとにかくメインの史実を覚えることで精いっぱいで、「匈奴」は残念ながらほとんど記憶には残っていませんでした。ところが、「匈奴」というの民族は中国古代史の中で輝きを放っています。どんな民族だったのか、なぜ漢と対峙したのか、なぜ強かったのか、その後どうなったのかなどダイナミックに整理したいですね。 <「匈奴」とは>「匈奴」については歴史小説で中島敦の「李陵」(前漢の武将)でも描かれていますが、「北アジア史上最初に登場した騎馬遊牧民族」で、「フン族」はその末裔と言われています。「匈奴」が台頭したモンゴル高原は海抜1500m、年間降雨量は極めて少ない地域で、冬には零下20度にもなる極寒の地でもあります。遊牧民族として生活は遊牧として5畜(馬、牛、羊、山羊、ラクダ)を育て、少ない人数で家畜を統率することから、屈強な騎馬遊牧が誕生しました。 中国の前漢の歴史家司馬遷によれば、匈奴の先祖は「夏后氏」夏王朝の一族の子孫であって、名を「淳維」といったようである。西北の異民族は戎(夷狄)といわれ、夷狄は禽獣に近いとみなされてさげすまれていた。「匈奴」の「奴」は奴隷の意味でもありました。そういえば、中国からみれば「日本」も同じでしたね。 <漢と「匈奴」の攻防>実は、古代中国においては「漢と匈奴の攻防」にはすごい歴史があります。前漢の皇帝は「文帝」「景帝(BC157~141)」「武帝(BC141~81)」と続きますが、BC201年「平城の恥」以来高祖の遺言を守り「匈奴」との戦いを避けてきています<「匈奴」の単于世系表>今回はここまでですが、わたしが印象に残っているのは漢の文帝から武帝に至る「匈奴」との攻防戦です。武帝、張騫、衛青、霍去病、李陵、司馬遷などの人物と「匈奴」の各単于との戦い、匈奴内部抗争、分裂など興味はつきません。その後「呼厨泉」(193~216)という人物は単于即位を拒否され、魏の曹操に降ったとあります。のちの「フン族」は「匈奴」の末裔ともいわれています。 ~あとがき~どうも中途半端な記述になりましたが、古代中国に対して、北方の遊牧民族であった匈奴は「漢」をしのぐ、軍事力をもって屈服させた時代がありました。世界史の中でもその後のモンゴル族など遊牧民族が世界を席巻するなどの時代がありました。その戦法、統治についても知りたいところですし、また現在とのつながりなどまた別途深堀してみたいと思います。以上