カテゴリ:ベジタリアン関連
![]() 昔むかし、あるところに、沼の原という町がありました。沼の原は、銅山の国という、小さな国にありました。 このお話のころの世界では、銅山の国のような国を、「貧しい国」と呼んでいました。このお話のころの世界では、不思議なことに、お金をたくさん持っていないことを、「貧しい」と呼んでいたからです。 沼の原や、銅山の国の人たちは、本当に貧しいわけではありません。人びとは、森へ行って果物をあつめたり、こむぎ粉をこねたり、それを焼いて具をくるんで食べたり、山でとれる銅を熱して、鍋や釜をつくったりしました。夜おそくまで話をしたり、踊ったり、恋をしたり、となりの町まで歩いてみたりしました。動物とあそんだり、子どもを育てたりしました。暮しのなかには、たくさんの喜びがありました。 この丸い星の反対側の、銅山の国からとても遠いところには、「豊かな国」と呼ばれる国々がありました。このお話のころの世界では、不思議なことに、お金をたくさん持っていることを、「豊かな」と呼んでいたからです。 「豊かな」国々の人たちは、本当に豊かなわけではありません。それどころか、とつぜん怒りだして、お皿をつぎつぎに割ったりする人がいました。いつもなにかが怖くて、猟銃を寝室において、物音がすると、起き上がってそれに弾をこめるような人がいました。 自分にできることはなにもない、という気持ちでいる人たちもいました。そういう人たちは、自分だけそう思っているのはつらいので、他の人たちにも、顔の前でわざと咳きこんで風邪をうつすように、その気持ちをうつそうとしました。 「世の中なんて、変わるわけはないし、どうにもならないよ。」彼らはいいました。「どうにもならないことは、どうでもいいんだよ。」 そのわりに、彼らにかぎって、彼らが考えてもどうにもならない、プロのスポーツ選手のトレードとか、どこかのチームの監督の采配とかは、まったくどうでもよくないと思っているらしくて、当の選手や監督に負けないくらいの、深く考え抜いた意見を持っているのでした。 その意見を語るときの彼らは、とても前向きな、怖れるものもない態度で、それと「どうにもならないことは、どうでもいい」が、いったいどう折り合っているのかは、とてもわかりにくいのでした。 この星の、「豊かな」国々では、心配ごとが、浴室にかびが生えるように広がっていて、お皿をつぎつぎに割っている人も、猟銃に弾丸をこめている人も、できることはないもないと感じている人も、みんなが、心配ごとを専門家に相談しに行きました。 そうして専門家に相談に行きはじめて、しばらくたつと、相談に行くのをやめようと思っても、やめられなくなっている気がしました。 専門家に、安心するための錠剤を出してもらっている人は、錠剤の量がふえていくのと、やめられなくなっていく感じが、たばこを吸っていたころにそっくりなので、専門家に、「この錠剤は、じつは新しい時代のたばこなのではないでしょうか」と聞くと、専門家は、「ああ、すこし考えすぎの気が出てきていますね」といって、さらに錠剤をくれるのでした。 家に帰って、ふと、自分は専門家に、「錠剤を出してもらっている」のではなくて、「錠剤を売ってもらっている」のだと気がついて、次の相談のときにそれをいうと、専門家は、すこし考えて、「あなたは錠剤に、なにか子どものころの悪い思い出があるのではないでしょうか」と聞くのでした。 「豊かな」国々の人たちは、なんだかきつねにつままれたような気持ちで、毎日を暮らしていました。 この丸い星の、「豊かな」国々でも、「貧しい」国々でもないところに、「灰色」が棲んでいました。 灰色は、人ではありません。 灰色は、「大きなお金の塊」と呼ばれるものの中に棲んでいました。そのお金の塊を、どんどん大きくすることだけが、灰色の考えていることでした。 お金の塊を大きくするのに都合のいい世界は、人びとがおたがいを疑って、怪しんで、怖がっているような世界でした。そのために、一人一人が、一つ一つ袋に入ったあめ玉のように、ばらばらになっている世界でした。 そういう、あそこに犯罪者がいる、ここにテロリストがいる、あそこに変態がいる、というニュースは、夕方のテレビから、いつも流れていました。 灰色は、品物がつくられる仕組みを変えて、工場を、「豊かな」国々から「貧しい」国々へうつしました。そのために、「豊かな」国々の若者たちのための、きちんとした働き先は、すっかりなくなってしまいました。 夕方のニュースから、「なまけている若者」というイメージが、たっぷり流されはじめました。覚えやすい流行語がつくり出されて、くりかえされて、人びとはどんどん、本当に若者たちがなまけているような気になっていきました。 ![]() 子どもと昔話 第25号「うさぎ!」第一話 抜粋 オザケンは昔とあんまりかわってないと私は思う。 天使系大人。 今聞いてもエンジェリー。 彼の活動はごくごく当たり前にことだと思うんだけどね。 mixi賛否両論あるけど。 映画を観た人へ。 彼にすべてを求めるのは間違っている。 彼は彼のやるべきことを一生懸命やっているだけ。 彼ができないことは他の人がやってるんだけら、そっちにも目をむけなくちゃ。 無知なやつだって指を指されるよ。 愛を語れる人は彼だけじゃない。 愛するって何?なんて、愛することに戸惑ったことのある人に聞くべきさ。 私達には見えないだけで彼にも葛藤は人並みにある。と私は思う。 昔カローラのCMに出てたっていいじゃない。 昔のことだよ。 私だって昔は肉を食らう雑食だった。 so what? 今が大事。 ほくろをラブリーと呼ぶ 朗読 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.03.12 17:24:41
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