土曜日の朝。
予約してあった車の点検のついでに、今年はスタッドレスに履きかえた。
去年はタイミングを逃してノーマルのまま、たった一度の降雪の日に、
シャーベット状の道路をヨタつきながら出勤したのだ。
そうしたら・・・・・・
今朝は銀世界だった、キャッホー♪
もっと降れ、どんどん降れ♪
勝手きわまりないのは承知だが、スタッドレスも履いた以上は降ってナンボ。
主婦根性丸出しだが、冬タイヤにして雪が降ると得した気分だな。
クリスマスのちょっと前、娘とカラオケに行ったら、ホールに続く階段には
ポインセチアの「造花」が飾ってあった。
二人きりなら思いっきり練習ができる。
1時間半、たくさん歌ってきた。
この1時間半という長さ、練習するにはほどほどよかった。
帰り道、娘が私と「考え」を確認したい、と話しかけてきた。
娘いはく、自分はもし回復の望みのない状態になったら死なせて欲しいから
延命治療はしないようにして、と。
ふつうの親なら「んなこと、子どもが親に頼むことでもないだろうが」って
びっくりしたり怒ったり慌てたりするのかもしれない。
延命治療はさせない、可能な臓器はすべて移植してもらうようにはからうと約束し、
逆に私に対しても、同じようにすることを約束させた。
はたちそこそこの娘が安堵の表情を見せた。
この安堵の表情はなんなのだろう。
彼女の友人の祖母で、寝たきりになって厄介者扱いされた人がいたそうだ。
病院をたらいまわしにされ、92才で亡くなったとき家族がほっとしたらしい。
他に小説なども読み、彼女なりに人生をどのように生きるかを考えてみたそうだ。
長く生きるだけが目標ではない。
人に迷惑をかけたくない。
できれば人の助けになりたい。
そうしたら今日、市内の病院で7年間植物状態の35才の男性が殺され、
その父親が近くにあった車の中で遺体で発見された、とのニュースが流れた。
父親が息子の顔に濡れタオルをかけて窒息死させ、姿をくらましていたのだ。
人間らしく生きるために、そろそろ延命、長寿一辺倒から離れて
社会の仕組みそのものを、根底から見直す時期に来ていると思う。
もし安楽死が法的に認められていれば、この父子のような悲劇は防げただろう。
クリスマスイブ、
読み聞かせ仲間の中学生の娘さんの葬儀があった。
詳しくは知らないが時おり入院していた。
そんなこともあって、生きることについていろいろ考えた。