暴君高時、本当の姿は??
先日、5月8日に六波羅探題北条仲時が蓮華寺で主従430余名と切腹をしたことを書きましたが今日22日は鎌倉幕府が滅亡した日…鎌倉幕府の実権を握ってた北条氏得宗である高時が自刃した日です。この高時については大河ドラマで片岡鶴太郎が演じた闘犬や田楽など遊興三昧のしょーもない高時の印象が強いかと思いますが、何かの本で読みましたが今に伝えられるアホな暴君高時像は江戸時代から明治にかけての史学の影響が強いそうです。実際の彼は「金沢文庫古文書」にも書かれていますが禅僧とも交流を持ち仏画に親しんでいたという正反対の静かなイメージです。まぁ大体にして歴史は勝者の記録ですから暴君高時=滅ぼされて当然の図式も仕方ないのかもしれないです。でも後醍醐天皇は北条の怨霊を恐れ足利高氏に命じ「宝戒寺」を建立させていますので、江戸時代で「将軍をないがしろにした北条氏の高時」、明治に入ってからは「承久の乱で天皇に弓引いた北条氏の高時」って後世に都合よく作られたのかもしれないです。で、先日から怖くて行けない場所の話がありましたが高時が自刃した東勝寺もメチャ怖いです。今は山の麓に「東勝寺跡」の石碑が残るだけで、その左手に高時腹切りやぐらがあります。ここはね、ひたすら怖い崖にぽっかりあいた土の穴に墓標があり昭和50年頃行われた発掘調査で石畳道や石垣と共に三鱗の古瓦や人骨が発掘されました。この場所で1333年の5月22日、鎌倉の滅亡を悟った高時以下800余名(300余名って説もあります)が自刃、主の体を敵から隠すよう800余名がどんどん折り重なって死んでいったそうです。わずか9歳で得宗を継ぎ元寇からくる難局を抱え込んだ高時、、以前は「鎌倉時代の幕を引いたしょーもない高時」と思ってましたが崩れ落ちてく鎌倉幕府を支えることなど誰にもできなかったろうな…と思うと今に伝わる高時像はちょっとかわいそうだよな、と思う私です。☆ここでティータイム☆昨日はとーっても良い天気だったので1時間ほど庭の草むしりをしました♪そしたら昨日の夜からお尻から膝の裏までが筋肉痛…今日は階段はカックンカックンって感じ。しかし草むしりで筋肉痛なんて何も運動してないのがバレバレですよね。でも、当日から筋肉痛なんてまだ捨てたもんじゃない?????運動不足と言えば“食べ過ぎ症候群”の自己診断リストメタボリックシンドロームの予備軍 診断テストをしてみたら、6個で「要注意」(-_-;)(;-_-)アッチャー食べる速度が早いのがいけないかな。よく噛んで、バランス良く、規則正しく、薄味に、そして夕食後に30分歩きましょう!が重要みたいです。皆様は如何でした????今日も帰りがちょっと遅めで7時半頃家路を急いでいましたが、もう暗いのに無灯火の自転車が多かったです。昨日も三男と散歩してたら携帯メールしながらや、タバコ(-.-)y-~吸いながら走ってる人が何人かいました。最近自転車の乗り方のマナー悪いですよね~。