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続「光る君へ」外伝 謎の多い紫式部 大河の「まひろ」 続「光る君へ」外伝 謎の多い紫式部 大河の「まひろ」名付け親とは もともと本名不詳、誰からもクレームはつけられず…決定した者勝ち!? (msn.com)名付け親とは もともと本名不詳、誰からもクレームはつけられず・・
「紫式部は謎の多い人だ」ということは、今年1月の夕刊フジ連載「『光る君へ』外伝」にも書いた。 紫式部だけでなく、あの頃の女性には、生年不明、没年不明、本名不明といった人が多い。 紫式部はいわゆる「女房名」で本名ではない。 本人が出仕する場所で、そこの主人や同輩への便宜のために名乗った、もしくは名乗らされた通称である。 この女房名にしてからも、なぜ「紫」かは諸説あるが、これも不明だ。 紫を名乗る以前は、彼女の父が藤原為時(ふじわらのためとき)という藤原を名乗っていたために「藤式部」と言われていた。 それが紫に代わったのは、源氏物語に「紫の上(むらさきのうえ=光源氏の妻の一人)」が登場して以後、それにちなんで、という説もあったりするが、決定的ではない。・・」 私からすれば、「まひろ」という名は、実に良い名前だと感じていた。 社会運としては開かれ、自力運としては、波乱万丈の運勢だから・・ 紫式部の半生に、似通ったところを感じる。^^ 藤原為時という、運勢の弱い父親のために、才の発揮が遅れたか・・ そして、紫式部 紫式部 - Wikipediaという名になってから、 世の表舞台に出て活躍する運勢だが、長くは続かない面も・・ 藤式部という名でも、十分その才を発揮したと思われるが。 ・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.05.02 13:55:21
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