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★今日のフォーカスチェンジ♪
健全にうたがう。 最近、つくづく大切だなあと 感じていることがあります。 それは、 「うたがう」ということ。 え? うたがうことが 大切なことなんですか、って? びっくりしてしまうかも しれませんね。 簡単に言ってしまうと、 マスコミや、他人からの 情報を鵜呑みにしないこと。 事件が起き、マスコミで おおきくとりあげられると、 それにたいして、さまざまな 意見が飛び交います。 ときには、それを見聞きした 第三者から、当事者 (加害者・被害者ともに)に たいして、メールや電話が 行くこともあるといいます。 あるときも、かなりおおきな 事件が、マスコミで取りざた され、当事者を非難する声が 続出しました。 電車に乗っていても、 そんな声が聴こえてきましたし、 新聞の投書欄などにも、 意見が載っていたりしました。 ところがしばらくたって、 実は、それは捜査ミスで、 そのひとは無実だったこと が判明しました。 すると、たしかに 非難の声はやみましたが、 「自分が間違っていた、 申しわけない」とする 声は、ほとんど 聴こえてきませんでした。 私は、そのことを、 胸が痛くなるような思い で、受け止めたのです。 マスコミも警察も、 人間ですから、まちがい をすることはあるでしょう。 (あってほしくないとは 思いますが) だからこそ、それを見聞き する私たちは、そのことを、 ちゃんとわかっている必要が あるのだと思います。 ほとんどの場合、私たちは、 その事件について、 自分が実際に調べたり、 当事者と接したりしている わけではないのですから。 ましてや、実は冤罪で あるとわかった場合でも、 そのことが、いちいち、 マスコミに載らないことも おおいのだそうです。 とすると、おおくのひとは、 最初の誤った情報を、 そのまま信じてしまうと いうこともありえます。 だからこそ、 「うたがう」ことが 必要なのです。 疑心暗鬼的な「うたがい」 ではなく、ひととして 「健全なうたがい」を もつということです。 そして、もちろん、 すべてのことは、 自分の問題に通じます。 マスコミの話にして しまうと、自分とは 関係ないような気がして しまうけれども、 同じようなことを、 自分もやってはいないかと 振り返ってみるのです。 自分のまわりで、権威や 肩書きをもっているひとの ことばを、鵜呑みにしては いないだろうか。 もっと言うと、 常識だから… 世間がそうだから… いつもそうなっているから… と、やっていることが、 本当に、それでいいのかと。 「健全にうたがう」 それは、 自分の考え、自分の行動、 自分の生きかたに、自分が 責任をもつということです。 自分の生きかたを、自分で 決めるということです。 そして、私たちは、 誰もがまちがう存在です。 まちがいを一度もおかした ことのない人間は、 この世には存在しません。 だとしたら、誰かが 仮にまちがったときでも、 一方的に責めるのではなく、 どうすればいいかを、 ともに考えることが できるのではないかと 思うのです。 そして、自分自身が まちがったときには、 そのことを素直に受け入れ、 どうすべきかを、 誠意を持って決めればいい のだと思うのです。 今日のメッセージは、 なんとなく正論?っぽく 聴こえてしまうかも しれませんが… 自戒をこめてお伝えしたい ことでもあるのです。 健全にうたがいましょう。 誠実に向き合いましょう。 すべてのことは、 いつだって、自分に還って くることなのですから。 --かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2025号(2009年5月15日発行)より ★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方は http://mini.mag2.com/ にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2013.01.11 18:04:00
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