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★今日のフォーカスチェンジ♪
目覚ましチャイム 「腑に落ちる」 ということばがあります。 演劇の指導をしていると、 このことが、 実によくわかるのです。 役者さんの演技にたいして、 さまざまな指摘をすると、 「はい、わかりました」と 返事がきます。 で、実際にやってもらうと、 「わかっているかいないか」 が、歴然とわかります。(^^ゞ 演劇を体験したことのない ひとにとって、演技とは、 しばしば、「ふりをすること」 と同じ意味に使われるようです。 でも、実際はちがいます。 役者さんは、いつでも、 その瞬間、瞬間に、 その役として、その感情を しっかりと感じています。 その人物として、 こころが動き、そして、 行動しています。 役の気持ちがわかっていない ときの動きは、まるで 説得力がありません。 いかにそれらしく演じて みせても、ちっともこころに ひびいてこないのです。 ところが、ひとたび、 その感情、その感覚が、 役者さんのなかで、ぴたっと 落ち着き場所を見つけると、 まさに劇的な変化が起こります。 表情がまったくちがってきます。 動きも、当然、変わります。 技術的な洗練は、もちろん 課題としてありますが、 少なくとも、ここからが お芝居としての出発点なのです。 「腑に落ちる」と、 考える必要がなくなります。 というか、考えているあいだは、 「腑に落ちて」いないのです。 まるで、禅問答ですね。(笑) 実際、いくら考えても、 わからないときには、その人物に 似たひとを観察するのが一番です。 観察して、そのまま 動きをまねてみるのです。 動きをまねすると、その動きに 見合った、こころが生まれます。 本当に観察するのは、 実は、その部分です。 ああ、この動きをしていると、 こんなこころの状態になるんだと、 からだが、気づくのです。 つまり、「腑に落ちる」のです。 もう、おわかりですね。 こころとからだは、 わかちがたく結びついています。 もっと言うと、こころとからだは、 別ものではないのです。 その証拠に、私たちは、 こころだけでは存在できないし、 からだだけでも存在できません。 そして、私たちは、 自分の内がわに、 無限の可能性をもっています。 こころとからだを使うことで、 自分の内がわに眠っている さまざまな自分を引き出します。 ええ。もともと、それは、 自分のなかにあって、 たまたま使われずに 待機しているだけなのです。 役者の仕事は、その眠っている 部分を揺り動かすことです。 だから、自分とはちがう(と 感じるような)人物でも、 演じることができるのです。 さらに言うと、この感覚は、 さまざまな体験をしてきたひと ほど、活用が可能です。 いわば、たくさんの 目覚ましチャイムをもっている ようなものですから。 失敗を怖れて行動しないひとは、 体験を積むことができません。 すると、鳴らせるチャイムの 数が、減ってしまいます。 かぎられた部分の可能性しか、 呼び起こせないことになります。 だから、体験すること、つまり、 行動する必要があるのです。 どんな体験も、否定しなければ (受け入れるならば)、それは、 あなた自身の糧となります。 やがて、あなたがあなた自身の 可能性をひらいていくときに、 きっとちからになってくれます。 怖れる必要はありません。 こころとからだまるごとで、 体験していってください。 もともとすべて、 あなたのなかにあるのですからね! --かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2039号(2009年5月29日発行)より ★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方は http://mini.mag2.com/ にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2013.01.30 12:01:21
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