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★今日のフォーカスチェンジ♪
ともに尊重される方法を ずいぶん前になりますが、 知り合いの小学校の校長先生が、 話してくれました。 「子どもがね、よく、 走ってきてぶつかるでしょう。 まわりをよく見なさい!と 大人は怒るけど、 それ、無理なんだよ。 子どもと大人の視野は、 ちがうんだから」 そう言って、ちょっと変わった めがねを見せてくれました。 レンズの両脇をおおって、 見えないようにしています。 かけると、実際、ほとんど、 前しか見えないのです。 「これが、子どもの視野。 おとなは、だまっていても 大体180度見えるけど、 子どもの視野は、そこまで 発達していない。 比喩じゃなくて、本当に、 これしか見えないんだよ」 そのことを忘れないために、 そんなめがねをつくって、 かけてみるようにしているのだと、 校長先生は話してくれました。 また、たとえば、おとなに、 「コップになみなみと水を 入れて、半分かたむけたら、 コップの水はどうなりますか?」 と言って、 絵を描いてもらったとします。 ほぼ100%のおとなが、 コップから水があふれて、 こぼれている絵を描くでしょう。 でも、同じことを言って、 10歳以下の子どもたちに 絵を描かせると、それこそ、 さまざまな絵になるのです。 90度以上かたむけた コップのなかで、水が もとのままの状態だったり。 ややななめになってはいる ものの、こぼれずにコップの なかにとどまっていたり。 けっして、ふざけて いるのではありません。 発達段階として、 目の前に見えていないものを、 論理を組み立てて描くという ことができないのです。 だから、 「仲良くしなさい」と、口で 言われても、わかりません。 「仲良く」は、目に見えないからです。 「早くしなさい」と言われても、 それだけでは、わかりません。 「早く」がどのくらいなのか、 具体的にわからないからです。 目に見えないものは、子どもに とって、すべて抽象概念です。 抽象概念は、理解できないのです。 こんなことを書くと、 「だから、子どもは幼稚だ」と 考えるひとがいるかもしれません。 でも、私はそう思いません。 たとえば、子どもたちが、 お母さんを、家よりも おおきく描いたとすると、 それは、その子にとって、 お母さんが、それだけ 大切な存在であることを あらわしています。 その瞬間、子どもは、 そのように感じているのです。 そのように感じたままを、 表現しているのです。 子どもは、その瞬間に、 完全なる自分絶対の世界を 生きているのです。 私たち、おとなは、 論理という能力とひきかえに、 この世界をうしないます。 その魔法のちからがあれば、 いつでも、世界の主人公に なることができるのに…。 大切だと感じることやものを、 迷いなく、100%、大切に することができるのに…。 最初に書いた、 視野の話もそうです。 まっすぐに前だけを見て 駆けていける能力を、 私たちは、視野の広がりと ともにうしなうのです。 うしなうだけでなく、 それをもっていたことさえ 忘れてしまうのです。 もしも、あなたが、 何らかのかたちで、 子どもとかかわるひとで あるのなら、今日はお願いです。 どうぞ、おとなのものさしで、 子どもを、はからないでください。 そのものさしでは、 子どもをはかれないことに、 気がついてください。 子どもたちが、 生きていくために困らないように、 社会の仕組みを教えることが、 子どもたちの本来もっている 無限の可能性と可変性に ふたをしてしまうことであっては ならないのです。 どちらもともに尊重される方法を、 私たちは、探す必要があるのです。 いま、同じ空間を生きながら、 私たちおとなが、見えなくなって しまったものを見、 聴こえなくなってしまった音を 聴くことのできる子どもたちに、 どうぞ、敬意をはらってください。 それが、二度と子ども時代に もどれない、私たちにできる、 せめてものありかたです。 --かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2066号(2009年6月25日発行)より ★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方は http://mini.mag2.com/ にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2013.02.12 05:16:16
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