|
カテゴリ:マラソン/山/トライアスロン
さて明日は3年ぶりのフルマラソンである。
ひさびさの42.195キロであり、かつ1週間前に体調を崩しほとんどトレーニングができていないため、かなりツラいレースになることが予想される。そこでボクは“心の準備”のため、このウェブサイトの過去日記の中からツラかったマラソンレースの完走記を探し出して読み漁ってみた。 これらの過去日記を読むと、意外なことに、ボクはこれまでに今回をはるかに凌ぐ悪条件をおして出走し、40余年の人生の中でも10本に指に入るであろうと思われるツライ経験をしているらしい。あんまりツライので記憶から抹消されていたのであろう(笑)。 以下、それらのツラかったマラソン大会をツラかった順番に挙げ、当時のツラさを振り返りながら明日へのメンタル・リハーサルとしたい。 1位: 2003年10月 トロント・マラソン このレースはツラかった!この日記を読みながら、あのツラさは一昨年のキリマンジャロ登頂の時のツラさに匹敵するか、それに次ぐものがあったなあ…と思った。オレはこの年の春にマラソン・デビューし、レースをこなしていくたびにタイムが向上するのが面白くなって、記録更新に燃えていた。しかしレースの2週間前に足を故障し、歩くのさえ大変な状態になってしまった。医者にも診てもらったが2週間経っても足の痛みは回復しなかった。おまけに走るのを控えていたためにまったく練習不足であったのだが、マラソンに燃えていたオレは足をテープでぐるぐる巻きにして鎮痛剤をたらふく服み、自爆覚悟で出走した。結果、25キロ地点で鎮痛剤が切れ、激しい痛みがぶり返した。さらに、痛む足をかばうために不規則なフォームになり、30キロ地点で反対側の脚が棒状になり、脚が上がらなくなった。オマケに初体験の「30キロの壁」がやってきた。さらにコース終盤では、スピードが落ちて冷え切った身体に氷点下の寒風が正面から吹きさらす。泣き面にハチ、次にアブ、さらに蚊の大群…といった感じである。心身どちらもボコボコに打ちのめされた、ホントにツラいレースであった。 2位:2004年7月 カルガリー・マラソン このレースもツラかった(涙)。体調は決して悪くなかった。トレーニングも十分だった。ペース配分もほぼ予定どおり。なにせフルマラソンもこれで5回目だ。それなのに、これまでに経験のない深刻な「壁」に、はやくも25キロ地点で見舞われた。レース後に知ったのだが、カナダの中西部にあるこの都市は標高1000m以上の高地にあり、酸素が薄かったのである。 おまけにコースも良くなかった。交通量が比較的少ない地域を通るようになっているために貧困層の居住地を通るのだが、だいたいそんな地域は舗装が悪く、オレの偏平足に不要な負担を強いるのだ。おまけに路上で応援する人が誰もいないそんな陰鬱な雰囲気の中を走っているうちに心理的にも気力が削がれてくる。 なにせ30キロに到達する前にそんな状態なので、最後の15キロのツラかったこと!過去に10数回走ったフルマラソンの中でも、あれほどゴールを遠く感じたことはない。心理的には一番つらかったマラソン大会であった。 3位: 2004年8月 北海道マラソン この大会はまた別の意味でツラかった。…というのは、この時オレは日本出張中だったのだが、連日の深夜残業と休日出勤でトレーニング不足&寝不足、マラソンを走る前に疲労困憊していた。おまけにこの大会は出走資格が限定された本格的な大会で、5キロごとに関門があり、1キロを5分30秒以内に走り切らないと関門に引っ掛かってしまうのである。 大会までの1ヶ月、オレは激務で毎日の睡眠時間が5時間程度、走る時間があっても5~6キロがせいぜいであった。大会前日に会場入りしたオレは、それまでに蓄積した疲労で頭痛さえしていた。翌日に42.195キロを4時間の制限時間内に完走するのはどう考えても無理な話であった。オレは目標を「制限時間内完走」から「35キロ関門まで制限時間内通過」に切り替えて大会に臨むことにした。 オレはスタートするなりダルさと戦いながら、出走者の最後尾を関門ギリギリのタイムで走っていた。ところが25キロ関門を過ぎたあたりから不思議と調子が出てきて、その後の大きく失速することなく残りの関門を通過、圧倒的な練習不足と疲労にもかかわらず時間内完走できてしまったのであった。レースのはじめがツラくて後がラクになった、非常にマレなレース経験であった。 実は今回、どうせ初めからツライ経験になるのが判っているのだから、出場を見合わせようか…などと密かに考えていたのだが、これらの過去日記を読んだらすっかり気がラクになったよ(笑)。もう怖いものはない、明日はどんなツライ出来事でもかかってこい!ってな感じである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[マラソン/山/トライアスロン] カテゴリの最新記事
|
|