全人類の一番下の地位から、全人類を上の地位に上げて、全人類の為に生きている、そういう生き様ができた筈なのです(2)
Toshu Fukami・メールマガジン vol.647 2007/10/27 を読んで※「最高級の繊細な正神界をあつかうワールドメイト」 この御言葉を記録致します。この霊界を得る為に。 Toshu Fukami・メールマガジン vol.648 2007/10/27 を読んで※「今、私達が行ってる神事も、すべて先人の苦労や悲願の上に成り立ってるものです。」やっと、御言葉の中に人生があるようになりました。ダビデ王以来とか言っていないで、人類始祖アダム以来、もっと遡って、五千億光年宇宙が創造される前の、宇宙を創造する神の希望に満ちた心情の位にまで、上がって下さい。と言っても、勿論、私の現実しかお伝え致すことはできませんが、現実になっていない妄想、空想は何の意味も無いので。 しかし、私の中には、もっともっと背負っているものがあるので、それを全て、謹んで、お伝え致します。年下の童貞の者の方が、もっと未来、もっと上の境地にいるのだから。よろしく御願い致します。 学校運営、子育て全くやりませんでした。サタンをやり尽くしました。それで、世界で二人だけの人間に成ろうという私の愛が挫折致しました。私の中には、万物世界が全部復帰されて、全ての人類が、全ての動物が、全ての植物が、全ての鉱物が、神の愛の中で、歓びの生を生き生きと生きている世界があるのです。私は全てを自分と感じる世界に生きているのです。ちゃんやるべき事をやっていれば、私は全人類への司令塔に成れて、全人類の一番下の地位から、全人類を上の地位に上げて、全人類の為に生きている、そういう生き様ができた筈なのです。私はその位に値する程、酷い目に遭わされ続けていたのです。 この私の無念の思いも全て、謹んで、御報告致します。-引用開始-出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』オウム真理教(オウムしんりきょう)教義無常 オウム真理教は、修行による苦悩からの解放を説き、欲望・煩悩を一つずつ超越する事を解脱と呼んだ。そして、自ら日本で唯一の最終解脱者と称する松本の教説は、「無常」と「煩悩破壊」を根本とする。 「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という松本の言葉に象徴されるとおり、この世の中のすべてのものは無常である。したがって、すべての喜びはいつか終わりが訪れるため、煩悩的な喜びにとらわれることは必ず苦しみを生み出す。 逆に、自己の煩悩を超越し、無常を越えた状態が、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜のニルヴァーナ(煩悩破壊)である。また、そこに留まる事なく、更に全ての魂を絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の状態に導くことによってマハーニルヴァーナ(大完全煩悩破壊)、あるいはマハーボーディニルヴァーナ(大到達真智完全煩悩破壊)へと至る。 ※愛情の世界は、非常に素晴らしいものです。愛情は煩悩ではありません。執着何にもありません。現実の地位では無いから。与えるだけだから。与えるだけの喜びの世界もあるんです。男の気持ちの世界。教義 オウム真理教の教義は、原始ヨーガ、原始仏教を土台とし、パーリ仏典を土台に、チベット密教の技法を取り入れている。そして、「宗教は一つの道」として、全ての宗教はヨーガ・仏教的宇宙観の一部に含まれる、と説く。その結果、キリスト教の創造主としての神は梵天(オウム真理教では神聖天と訳す)の事である、等と説かれる。 従って、オウム真理教に於いては儒教・道教・キリスト教・ゾロアスター教等ありとあらゆる宗教・神秘思想を包含する「真理」を追求するという方針がとられた。結果として、キリスト教の終末論も、仏教的な「創造・維持・破壊」の繰り返しの中の一つの時代の破滅に過ぎない、として取り込まれた。 具体的な修行法としては、出家修行者向けには上座部仏教の七科三十七道品、在家修行者向けには大乗仏教の六波羅蜜、またヨーガや密教その他の技法が用いられた。事件と関連するとされる教義 オウム真理教では修行の内容を3種類または4種類に分けて説く。小乗(ヒナヤーナ)、大乗(マハーヤーナ)、真言秘密金剛乗(タントラ・ヴァジラヤーナ)で、厳密に説かれるときはタントラヤーナとヴァジラヤーナを分ける。ここでは4つの修行体系に分けて述べる。また、以下は教団における定義であって、通常の仏教語の定義とは違う。ヒナヤーナ ヒナヤーナとは、外界とは離れて、自己の浄化・完成を目指す道である。ヒナヤーナはすべての土台である。 マハーヤーナ マハーヤーナとは、多くの人たちが同時に高い世界を目指す道である。教団全体はマハーヤーナと規定される。ただし、ヒナヤーナ的な自己の浄化がなければ、マハーヤーナは成立しないともいう。 タントラヤーナ タントラヤーナとは、マントラを唱える等の密教的な修行を指す。ただし、左道タントラなど、現代日本では非倫理的・非道徳的とされる部分については、教団の公式見解において否定されていた。 ヴァジラヤーナ ヴァジラヤーナとは、グルと弟子との1対1の関係においてのみ成り立つ道である。グルが弟子に内在する煩悩を突きつけ、それを理解できる状況を作り出し、その煩悩を越えさせるマハームドラーなどの激しい方法が含まれる。 ヴァジラヤーナの教義の中には、「五仏の法則」と呼ばれるものがあり、「天界の法則であって人間界においてはなしえない」という注釈のもとで説かれたことがあった。これは、一般的な戒律に反する行為・言動が、完全に煩悩なく、完全に心において利他心のみであるときには認められるとするもの。真言宗の金剛経などにも見られる教えである。 具体的には、悪業を積み続ける魂を救済するために殺害すること、貪り多き魂を救済するためにその財産を奪うこと、嘘を使って真理に導き入れることなどが、天界の菩薩の修行として説かれている、という解説であった。 この教義が殺人を正当化するものと解釈されたが、現在の教団においては、この五仏の法則は封印されている。※愛の世界、愛情の世界は、大変感動的で、素晴らしいものであると私は感じています。表面的な善悪で、人を裁く事は、表面的な人間になってしまうという結果を招きます。菩薩の修行として、徳を積む為の早道は悲しさを生じさせるので、邪道であると私は思います。徳は時間をかけて積み続けていくしかないと。その忍耐心が修行には重要であると私は考えています。他の悪業を背負う障害者の道も邪道と。早道には温かい心、人間性を失ってしまうという欠点があるのです。コミュニケーションができない人間性になってしまうと。他人の心が解らない人間性になってしまうと。心を育てていくのが修行なので、何の意味も無い天界の菩薩の修行と。 麻原彰晃氏はますます、障害者になっていってしまうと。普通の人間の心が解らない存在になっていってしまうと。天界の菩薩の修行によって得た徳分で、ますます独裁者の未来になってしまうと。公称信徒数1985年12月 - 15人 1986年10月 - 35人 1987年2月 - 600人 1987年7月 - 1,300人 1988年8月 - 3,000人 1995年3月 - 15,400人(出家1,400人、在家14,000人) 1997年7月 - 5,500人(出家500人、在家5,000人) 1997年12月 - 2,200人(出家900人、在家1,300人) 2000年 - 1,115人(教団が公安調査庁に報告した数) 2003年2月 - 1,251人(教団が公安調査庁に報告した数) 2003年2月の改称後については、「アーレフ」を参照のこと 1995年以降、警察の捜査から逃れるため、多くの信者・関係者がタイ、ラオス、カンボジア等の東南アジアに逃亡した。その中のある信者グループは、タイ王国チェンライのゲストハウス「Lek House」の親日家オーナーに接近。身分を偽ってこのゲストハウスを「アジト」として長期潜伏していたとされる。この事実をめぐり、複数のジャーナリストが取材を行っている。 2003年8月、オウム真理教の元信者である女性が北朝鮮に亡命した。 フランスにも影響を与え、カルト団体対策の推進の理由のひとつとなり(他にスイスにおける集団自殺、フランス国内でのカルト被害報告の増加もある)、各省庁が連携してのカルト対策が立てられ、フランスはカルト団体対策の先進例の1つとなった。1995年、1999年にフランスは、国内で活動中で犯罪の多い団体のリストを作成した。当然フランスに於いてもオウムは特に危険な団体として取り扱われたが、オウムはフランスに支部を持っていなかったのでセクトのリストからは漏れている(ただし、テロ事件を引き起こす前の麻原はノストラダムスの予言書を手に入れるために訪仏し、現地の学者と意見を重ねていたので全くの無関係とは言い切れない。サリン事件後には、当時の学者達はフランス警察から事情聴取を受けている)。参考文献共同通信社会部『裁かれる教祖』(共同通信社) 河上和雄『犯罪捜査と裁判-オウム事件を追って-』(悠々社) 治安制度研究会『オウム真理教の実態と「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」の解説(立花書房)