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カテゴリ:精神障害者1級の者の日記
これが当たり前の人間界の摂理です。
関係は双方向、双方向で無くなった時、その関係は終わる、双方向に戻れば復縁と 最初に、19歳の時に、私に統一原理を伝道致して下さったS姉及び、その他の方々、最終的には、文鮮明氏に、感謝を致します。「神はセックスを致してはならないと言っている。」という御言葉を与えて下さって、大変、有難うございました。勿論、統一教会は魔界なので、その御言葉と一緒に、「貴方方の両親はサタンだから、真の父である文鮮明氏に帰依致しなさい。」という悪魔の試練もくっついていたらしいのですが、何故か、私には、そのデータは、入らなかったのです。私の両親は、サタンではなかったから。私の両親をサタンでなくしたという徳を積まれた先祖の方々に、謹んで、感謝致します。本当に、本当に、本当に、有難うございました。 私の父は、二男なのですが、幼くして亡くなったので、戸籍に載っていない兄弟姉妹方もいるようなのです。だから、もしかしたら、三男かもしれないと。何度も書いているように、私の父の父は、私の父が1歳になる20日前に、亡くなりました。だから、私の父は、サタンではないのです。1会計年度の雄の人生の地位も与えられなかったから。 この、家系の雄の地位を無くすというのは、簡単にできるのです。女とセックスをすればいい、それだけ。女とセックスをすれば、雄の地位は、中和されて、解消される。たった、これだけの事なのです。 しかし、最も重要な事が有ります。それは親との信頼関係、または、師との信頼関係、または、主人との信頼関係に気づくという事です。これを私は“教養”と言っています。或いは、“成熟”と言っています。当たり前の当たり前の当たり前の事なのですが、物凄い悪党、凄まじい極悪党は、あまりにも、徳が無いので、この当たり前の気持ち、親への感謝、師への感謝、主人への感謝という気持ちが支払い致されないのです。だから、外人転生致すしかないと。下っ端に致されていくしかないと。下っ端に致されると、内面に向けられる徳を得られると。それで、初めて、神への感謝という気持ちが支払い致されるのです。神というのは、非常に、抽象的ですが、それでも、とにかく、神への感謝という思い、気持ちが支払い致されたという事が、サタンではなくなったという事なので、第一歩なのです。この気持ちが支払い致されるまで、その物は、サタンだから。今、者ではなくて、物という語を用いました。動物だから、一段下の存在なので。童貞の私には、子がいないので、物という語を用いるしかないのです。もし者という語を用いてしまったら、その物があまりにも、あまりにも、あまりにも、可哀想なので。即、試練にさらされてしまうから。私に、人間扱いを致されたという事で、即、悪霊の再臨協助の試練にさらされてしまうのです。即、支払いをさせられてしまうと。だから、私は物=動物扱いを致し続けているのです。子がいない私は、それらを、子扱いできないので。 勿論、その物に、可能性が有れば、人間扱いを致します。悪霊の再臨協助の試練を、きっと、乗り越えられると考えたので。 だから、私は松沢成文神奈川県知事も、物=権力扱い致して上げているのです。この私の大愛に気がつく事ができれば、それは、床に額を何度も、何度も、何度も、何度も、…、何度も、叩きつけて、私に詫びを入れる事でしょう。そこまで、辿り着けて、やっと、それは、サタンではなくなるのです。悔い改めの第一歩を歩む事ができるのです。これ程、権力というのは、悪業の塊なのです。家系の業が、悪過ぎるから、権力をやらなければ、生きていく事ができないのです。 私は庶民を下の地位と考えていたのでしたが、そうではなかったのです。世の中、上の地位ではなかったのです。畏るべき、畏るべき、畏るべき、神の摂理であったと。??? 神という存在は、何と忍耐強い事かと。 庶民は、御茶を出して、或いは、コップ一杯の水を差し出して、或いは、上座の席を譲って、即、相手と交流致す事ができます。私は、これを当たり前と思っていたのでしたが、そうではなかったのです。権力はこれを致す事が全くできないと。あまりにも悪業が重すぎるので、交流ができないのです。権力にこれをやられると、悪業を背負わされるので。交流ではないと。交流というのは、自分の徳を相手に捧げる事だから。善意だから。悪意は交流ではないのです。これ、人間関係の最基本。権力には、これが解っていないのです。それらは、あまりにも穢れているので。自分が穢れているから、穢れの状態が普通なので。しかし、権力ではない、普通の者達は、それを穢れと感じるので、即、下に逃げる。深々と頭を下げて、相手に、その穢れを戻す。 どうにもならない、おそらく、救われは、最後になるであろうと考えられる権力なのです。人=親子・夫婦・師弟・主人と部下等の気持ちが解らない存在と。 これが当たり前の人間界の摂理です もう一言。基本的に、友情がやれない物達には、人がやれない。友情というのは、自分の現実を愛する事なので。相手に、自分を見出しているのが友情なのです。即ち、相手は、自分の現実と。 人間の向上は、この友情を修了して、愛情へと向かっていくのです。愛情の次は、親子の情と。その次が師弟愛と。さらにその次が、主人と部下の信頼関係と。この主人と部下の信頼関係をやれるようになると、サタンルーシェルの復帰の摂理がやれるようになると。万物復帰をやれるようになると。金を稼ぐ事ができるように成ると。それで、御金を貯められたら、次は結婚と。昔は、結婚を致す為には、家を持てなければいけなかったみたいです。そこまで、万物復帰をやらないと、結婚できなかったと。結婚できたら、次は、男は息子、女は娘をやると。その事によって、自分達の子を得る為に。自分達の子を得る事ができたら、おそらく、上司にされると。即ち、部下を持たされて、部下の子育てを致させられると。その事によって、自分達の子の未来を得る為に。…。これが当たり前の人間界の摂理です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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