貧乏旅人 アジアの星一番が行く 世界への旅
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アジアの星一番Ver4
東南アジアを始め、中国、欧州や中東、中南米、アフリカなど、現在まで119 カ国訪問。 毎年、新しい国へ行きたいものと、計画しています。
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8月6日(土) シルクロードの旅 37日目 その3 次に向かったのが、この町の名の「嘉峪関」です。 明代、1372年に城が建てられ、嘉峪山の西麓だったので、嘉峪関と 名付けられたそうです。 その城の名が、そのまま町の名前になっているのですね。 それも、そのはず、明代には、モンゴル族の侵入を防ぐ為に、この城が 建てられたのですが、その後、明を滅ぼした清王朝は、モンゴル族の 居住地であったモンゴル高原も、その統治下に納めたのです。 従って、この城の役割は無くなり、長らく放置され、1958年当時、 30数軒の農家があっただけだそうな。 新中国が開発に乗り出して、今の嘉峪関になったそうです。 嘉峪関の中に入ると、沼がありました。 九眼泉湖と言うようです。 ここが、入り口の門です。
この嘉峪関、大きすぎて、実際に中を見ていても、良く分かりません。 実物を見終わって、博物館へ行ったら、全容の写真があり、それを見て、 なるほど~、と、理解出来た次第です。 塀の中に、さらに塀があり、それも高くて、難攻不落の名城であると 思います。 ここが、外壁です。 分かり難いですが、これは、内壁です。 当時の戦いの衣服を見に着けた、係員がいました。 これは見せ物で、訓練された人たちではないので、ふざけたりしていて 白ける感じです。 バッキンガム宮殿の衛兵交替、あの荘厳さは、全くありません。 内壁の上へ登る場所です。 今は、観光客の為に、右側に階段をつけてありますが、実際は、 左側のようになっており、馬なども、登れるように使っていたようです。 これが、城の内壁の角にある、物見です。 城の内部です。広いですね。 これが、嘉峪関でした。 博物館に、万里の長城が作られた位置が示されていました。 歴代王朝が、作ってきたようですが、秦の始皇帝が大増築してから、 万里の長城との名が、付いたようです。 この嘉峪関の辺りは、明代のものなので、かなり遅くなってから 作られたものなのですね。 まぁ、それにしても、偉大な遺物を作ったものであります。
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