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2011.09.27
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テーマ:世界への旅(320)
カテゴリ:世界への旅


8月6日(土) シルクロードの旅 37日目 その3


次に向かったのが、この町の名の「嘉峪関」です。
明代、1372年に城が建てられ、嘉峪山の西麓だったので、嘉峪関と
名付けられたそうです。

その城の名が、そのまま町の名前になっているのですね。

それも、そのはず、明代には、モンゴル族の侵入を防ぐ為に、この城が
建てられたのですが、その後、明を滅ぼした清王朝は、モンゴル族の
居住地であったモンゴル高原も、その統治下に納めたのです。

従って、この城の役割は無くなり、長らく放置され、1958年当時、
30数軒の農家があっただけだそうな。
新中国が開発に乗り出して、今の嘉峪関になったそうです。

嘉峪関の中に入ると、沼がありました。
九眼泉湖と言うようです。

01 DSCF2356a.jpg





ここが、入り口の門です。

02 DSCF2358a.jpg






この嘉峪関、大きすぎて、実際に中を見ていても、良く分かりません。
実物を見終わって、博物館へ行ったら、全容の写真があり、それを見て、
なるほど~、と、理解出来た次第です。

塀の中に、さらに塀があり、それも高くて、難攻不落の名城であると
思います。

03 DSCF2392a.jpg





ここが、外壁です。

04 DSCF2362a.jpg




分かり難いですが、これは、内壁です。

05 DSCF2370a.jpg





当時の戦いの衣服を見に着けた、係員がいました。
これは見せ物で、訓練された人たちではないので、ふざけたりしていて
白ける感じです。

バッキンガム宮殿の衛兵交替、あの荘厳さは、全くありません。

06 DSCF2371a.jpg





内壁の上へ登る場所です。
今は、観光客の為に、右側に階段をつけてありますが、実際は、
左側のようになっており、馬なども、登れるように使っていたようです。

07 DSCF2373a.jpg





これが、城の内壁の角にある、物見です。

08 DSCF2379a.jpg





城の内部です。広いですね。

09 DSCF2383a.jpg





これが、嘉峪関でした。

博物館に、万里の長城が作られた位置が示されていました。
歴代王朝が、作ってきたようですが、秦の始皇帝が大増築してから、
万里の長城との名が、付いたようです。

この嘉峪関の辺りは、明代のものなので、かなり遅くなってから
作られたものなのですね。

まぁ、それにしても、偉大な遺物を作ったものであります。







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Last updated  2011.09.27 13:59:19
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