栗林浩『SMALL ISSUE』を読む
栗林浩『SMALL ISSUE』を読む 松田ひろむ栗林浩さんより句集『SMALL ISSUE』(本阿弥書店)をご恵送いただいた。これは彼の第二句集で『うさぎの話』KADOKAWA(2019年)につづくもの。句集名は<イギリスのうさぎの話灯を消して>から。「うさぎの話」とは、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」のこと。不思議の国のアリスの自在な想像と連想の飛躍、言葉遊びは俳句にとっても大切なもの。第一句集からは次の句をあげる。うららかや耳掻くときは後ろ足くちびるという春愁の出口かな ホームより長い電車来修司の忌 氏は評論をよくし、またネット上に句集評を積極的にアップしているので、ここは私もそれに倣ってブログにアップすることとした。句集名の『SMALL ISSUE』(スモール イシュー)は、路上生活者(ホームレス)のための冊子「BIG ISSUE」に因むもの。BIG ISSUEとは「大問題」の意。SMALL ISSUEは小さな問題、取るに足りない問題。8<着膨れて立ち売りの手に「BIG ISSUE」>の句がある。しかし私には句集を英語のタイトルにする勇気はない。(英語をよく知らないせいである。)句の配列は編年体でなく13のモチーフになっている。ただそれも「社会現象」から「いのち」「戦争・テロ」「幻視」などそれを見るだけでも、こりゃ大変だと思えるのだが、句は重くはなく、どちらかと言えば俳諧ぶりの句が多くてほっとさせられる。最初は「社会現象」。坪内稔典の「一人の人間、ひとつの生物としての自分としての自分という小さな存在にたちかえり、そこから改めて時代の基底と切り結ぶほかはないだろう。」が掲げられている。6数へ日の町に熊出て撃たれけり冒頭の句で確かに「社会現象」ではあるが、次章の「ただごと」にも重なる。季語の「数へ日」が微妙で時間を提示することによって、そこにとぼけた面白さが読み取れる。28からすうり埴輪の乳房ちひさけれこれは「ただごと」の章から。「ただごとを楽しんでいる」とあるが、小生は藤田湘子の「ただごとを詠むな」を銘にしているので、ただごとを楽しむゆとりがなんとも羨ましい。句は烏瓜の実と乳房の対比。埴輪の女性像は着衣であるから。これは埴輪でなくて土偶ではないかとも思ったが、どうだろうか。53手を入れて青田を温くしたりけりこれは永田耕衣の<手を容れて冷たくしたり春の空>(『冷位』)へのオマージュだろう。「春の空」と「青田」、「冷たく」と「温く」が対比されている。しかし「青田―温く」では、因果関係が直接的で、残念ながら耕衣の句を超えているとは思えなかった。58崑崙へ飛ぶつもりして鷺草は鷺草が飛ぶのは、類型であるが、句は崑崙(こんろん)が大きい。崑崙とは、中国古代の伝説上の山。西方にあり黄河の源で玉を産出する。仙女の西王母がいるという。現実の崑崙山脈にも重なる。ただ私の作法では、この場合は「つもりして」や最後の「は」は使わない。66蹤いてくる螢がひとつ外厨北海道での実体験を踏まえている句であろう。この句も金子兜太の〈おおかみに蛍が一つ付いていた〉とイメージが重なる。こうした先人の句がちらつくのも、この句集の特徴で、それは、先人に並び立つという意欲として受け止めたい。句は外厨ならではの、民話が生まれそうだ。私の幼時体験にも母の実家で外厠が恐かった思い出がある。ただそうした実体験は農村でももう少ないのだろう。73をととひの兎のにほふうさぎ小屋これは兎小屋にウサギはもういないと読んだ。その断絶が匂いで表現されている。注目句のひとつ。第一句集『うさぎの話』と関連づけると、イメージは一挙にひろがる。89そののちのマリアを知らずさくら貝これはウイットの効いている句。確かに絵画でも聖母子像というのは幼いイエスの時代である。なお、マリアは死後3日にして霊魂も肉体もともに天に上げられたという。これは1950年に、教皇ピオ12世が交付したもの。その日は8月15日で被昇天のマリアの祝日とされている。句はさくら貝の色彩感と小ささが、思いを深めている。110餺飩(ほうとう)の南瓜とろとろ子沢山山梨名物の「ほうとう」はなじみ深いものだが「餺飥」(はくたく)の音変化とは思わなかった。もちろんこんな漢字も知らなかった。ほうとうに南瓜は付きものであるが、句は子沢山への飛躍が面白い。ただここで気が付いたのだが、章が「近過去」となっていると、答が用意されているようで、これは良し悪しではないかと思った。146わたくしを捜す放送秋の暮帯にある句。「幻視」の章にある。この句から、かつてのNHKラジオの「尋ね人の時間」を思いだした。氏は小生と同齢であるので、時代体験は共通している。季語は秋の暮であるので、これは人生のテーマでもある。「自分探し」であるのかもしれない。176ふゆかもめ女神はかかと上げてをりなんでもない句だが、もっとも魅かれた句である。女神といえばはギリシャ神話を思わせるが、「かかと上げて」の具象が効いている。琵琶湖湖畔の渡岸寺(向源寺)の十一面観音の遊足にも通じる、衆生救済の思いであろう。149まぼろしの火炎土器から花の雲「火炎土器」は、常用外ながら通常は「火焔土器」。火焔土器の力感に対しての「花の雲」はちょっと弱い。もっとも作者独特のはぐらかしかとも思った。この他次の句もチェックした。93みつめられ白桃いたみやすきかな109揚花火勝鬨橋はもう開かず117「雪の降る街」に生まれて雪嫌ひ131鳩いくたび集めて放つ原爆忌140長き夜はシェエラザードと寝落ちるか148茅花流し少女のおでこ広くなる以上のように、どの句をとっても味わいが深くかつ「軽み」を目指していることがうかがわれる。しかしこの句集が氏の集大成とは思えない。発展途上の試行錯誤も含め、これからの句業に期待が高まる。80歳を越え明日を見つめる氏と、ともども刺激しあいたいものである。(2022年6月13日)