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最近は、靖国神社の意義というものが随分国民に理解されるようになってきた。
異論のある人もいるだろうが、小林よしのり氏の「戦争論」が以前の左翼的に膠着した言論状況を打破したと私は見ている。 英霊に対して感謝し、国に殉じた想いに報いるのは、人間としてあるべき姿である。その意味で、シナや韓国・北鮮の言いがかりは不当である。 先人の苦労・犠牲があってこその今であり、これを今日の倫理で裁くような真似は、文化として後退であり、野蛮である。 時間の流れ、過去と未来を考えるのが人間なのだ。先人の想いを慮れないとすれば、後から来るものに対する畏れもわかないだろう。 それは刹那に生きる獣である。 さておき、小林氏らによって「閉された言語空間」に突破口が空けられ、 靖国神社には若者も多く来るようになったという。 これは大切なことである。 しかし、「英霊」に感謝するのなら、もう一歩進んで、「氏神」さらに「産土神」にも想いを至らすべきだ。靖国の英霊は明治以降の新霊(あらみたま)である。それ以前の祖神として「氏神」、人々を育んできた土地神である「産土神」にもその思いは向けられるべきであることは論理のとして当然の帰結であろう。 序列でいえば、そちらが先である。 流行として、靖国尊重ではなく、その先の、その奥にあるものにも思いが至ってほしいと私は思う。 江戸期、生活の安定した日本人が、より高い価値を求め、自己のアイデンティティを追求した。それが、水戸の大日本史編纂となり、水戸学になった。また、日本人とは?という自問が国学になった。神道回帰は歴史的必然だった。 明治期は神道を国民精神的支配に利用した。これを国家神道と呼んでいる。 国家神道は、各地の素朴な信仰である各神社を、古事記・日本書紀の記述にあわせて、人間である天皇を頂点としたヒエラルキーに組み込んだ。それによって天皇の権威を確立し、天皇の赤子という観念をつくりだしたといえる。 この国家神道の大きな間違いは、各地の民が霊威を感じて、あるいは信仰の対象として立てた神社を、人間あるいは人工的国家の機関である天皇の下に位置づけたことであり、そのなかで、支配者層の都合によって神社の統廃合を行ったことである。これは、見えない世界への畏怖に欠けた天地逆さまの行いであった。 南方熊楠らは、これに反対していたのである。 今日、国家神道はすでにない。神社本庁はあるが、天皇を頂上としたヒエラルキーはもう無いのだ。 神社本庁を悪魔の巣窟のように罵倒する輩がいるが、的外れな非難であろう。 すこし本筋からずれてしまった。 私が言いたいのは、靖国の件は死守すべきことであるが、もう一歩進んで、この国を作り上げてきた祖先、さらにその奥の土地への感謝があってほしいということなのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.06.23 21:48:04
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