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テーマ:大日本帝国と其の周辺(580)
カテゴリ:大日本帝国興亡史
◇1946年1月15日、木戸幸一(内大臣)に対する巣鴨プリズンでの審問に於いて
審問官は木戸に「最近天皇は神でないと宣言し国民に対してその神格を否定しましたが、天皇が自ら神としてふるまうように内大臣は天皇に助言していませんでしたか」 木戸は天皇側近は天皇が神であると唱えなかったとして「1931年以降にその運動(天皇は神であるという運動)は始まりました」と主張。 「1930年以前にも、天皇は太陽神の子孫であると教科書に書かれていたのではありませんか」の問いには書かれていたことは事は認めるが「国民は1930年以前には天皇を神と考えていなかった」とし「天皇は神であるという運動」の主体は腐敗していた政党であり陸軍が擁護していた(天皇が神であり全能の存在であるという考え方を主張したのは陸軍とし、主導した第一の人物として荒木貞夫大将を挙げている)と主張。 「天皇は、自分が神であるとは考えていないことを日本国民に知らせるため、何かしたことがありましたか」には「表立ってはなかったと思います」 「天皇は、のちになってその運動を抑えようとして何かしましたか」には「記憶していません」「側近にはそうではない(神ではない)とおっしゃっておりました」 「天皇が神であると信じるように国民を教え導くことが、政府高官の一致した意見だったのですか。たとえ天皇がそう信じておらず、またそのことを高官たちが知っていたとしても」には「大体そんなところです。陸軍が統制していたので、高官たちがそれを抑えようとしてもできなかったはずです」 ──「東京裁判資料 木戸幸一尋問調書」p26~よりの纏め 〓勝手に独断と偏見〓 1889年の大日本帝国憲法(欽定憲法)では「国家統治の大権は朕か之を祖宗に承けて之を子孫に伝ふる・・・朕か現在及將來の臣民は此の憲法に對し永遠に從順の義務を負ふへし」であり 第1条「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」 第3条「天皇は神聖にして侵すへからす」 木戸が主張する陸軍が1931年から「天皇=現神人」を主導、しかし既に天皇主導で始まっている。 ※1931年:2月28日-婦人公民権案を衆議院で可決(3月24日に貴族院で否決)、9月18日-柳条湖事件(満州事変勃発) 2.26事件は1936年 終戦までは指導部(天皇・特権階級・政府・統帥・官吏)とマスメディアが情報を独占、国民は情報統制された空間に閉じ込められ神に奉仕することを指導部・マスメディアにより啓蒙(啓蒙・マインドコントロール・洗脳の複合体)されてきた。 1946年1月1日、昭和天皇は現神・選民思想を否定、大日本帝国憲法の否定でもある。 戦中・戦前では臣民の現神否定は犯罪、騙されていた国民は自己責任か。 天皇と其の先祖は神ではない、「天照大御神から授かった三種の神器」は国民を犠牲にして守る物ではない。 「昭和天皇独白録」の「八月九日深夜の最高戦争指導会議」に於ける 「国体護持の事で木戸も同意見であったが、敵が伊勢湾附近に上陸すれば、伊勢熱田両神官は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕は無く、その確保の見込みが立たない、これでは国体護持は難しい」 「三種の神器」は神器ではなく天皇家にて大切にされている器、「国体護持は難しい」は詔書に言う「架空なる観念」。 1940年は東京オリンピックが予定されていた皇紀2600年、神武天皇が即位して2600年、神武天皇の五代前が天照大神・高皇産霊尊、天孫降臨は天照大神の孫である邇邇藝命が天降り邇邇藝命の曾孫が神武天皇になる、伊弉諾神は天照大神の父であり淡路島・本州・四国・九州や石・木・海・水・風・山・野・火の父でもある、所謂「国産み」「神産み」を行なった神。 科学者でもある昭和天皇は旧石器時代が200万年前~紀元前1万年の感覚を持っていたと推測。 (「国産み」「神産み」は何時の話か、「天孫降臨」が3千年前だと現在に近すぎる、10万年前ぐらいの方が説得力がある) 昭和天皇は進化論を否定しない感覚、「三種の神器」「伊勢神宮」は重要としても「天孫降臨」「現神」は神話。 公式な神話否定は終戦後の連合国による占領下、様々な理由の一つに虚像にうんざりもあったと推察。 最後には自分も行くとし部下を特攻に行かせた者、戦後も仲間の死を悼み続ける者。 上司が責任を取る、トカゲの尻尾切り、国内法に於ける天皇・官吏の無答責、切り捨てられる側が納得している場合でも其れで良しとする者は少数派だろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.01.26 09:32:54
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