奇跡と言わずして…
前後際断「今」の一瞬に、その一瞬も無い「今」、一切が圓成しているのが生命である。生命がギリギリの絶對境に入るとき、そのまゝで圓成している「今」の中に突入するのである。もう前後際断である。因縁も超越されている、自然界の法則も超えられている。成瀬關次氏の『戰ふ日本刀』といふ本に、「徐州東北方の要地䑓兒荘の白兵戦で、新刀祐定を揮って、鐡条網を截った某少壯士官の、その日本刀に刃こぼれがなかった。歸隊後、武勇談に花が咲いて、たまたま満座の中で試みた結果は、鐡条網は截れなくて、その代わり刀身の曲がりと大きな刃こぼれとを見せた。よく話になる、虎を見て射た矢が虎と見えた石を貫いた。さらばと言って、今度はその石を射たが、矢は立たなかったといふのと同じである。」これは精神力の不思議な作用が、時にのぞんで、物の性質を超越する恐ろしい力を発揮する事の例話であり、物心一如のよい例である」と書かれているが、それは精神力が物質を支配したというような、物質を支配したといふやうな、物質に對する精神力の優位のみの問題ではない。もっと深い内容を蔵していると見るべきである。それは単に精神力の緊張のみならず、生命そのものの緊張によって、前後際断の「今」の中へ突入してしまったのである。(『碧巖録解釈』谷口雅春先生著/引用)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~生命がギリギリの絶對境に入るときそんな時に奇跡が起こるのでしょう。先の9.11 アメリカのテロビル破壊事件の時に、日本の数十人の消防士が、アメリカのビル破壊被災現場に強い友情と義憤にて、私費で渡米し救済活動に献身されたと言います。そして、間も無く3,11 東日本大震災が起きました。その時、米国の消防士の皆様が、大人数の米国兵士が、世界中の救済奉仕の皆さまと一緒に、日本の国の復興の為に駆けつけて下さった。奇跡と言わずして…