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大正十二年八月十五日、愈々私の最初の長編小説『神を審判く』が本になった。十月に生まれる筈の赤ん坊の事を考へると、八月末に這入るべきその印税は、赤ん坊を迎へるために天から降り濺ぐ慈雨のやうに思はれた。そしてそのことを妻に語ると、 『きっと好い子が生まれるに極ってゐますわ。善い生活をしてゐる時に宿った子ですもの。』 と妻は嬉しさうに、まだ見もしない赤ん坊の愛らしい顔を心に想像するらしかった。(略) 関東大震災の日、私は二階に寝轉んでゐた。最初地震が揺り出した時、そのうちに止むだらうと思ってゐたが一層激しくなって水屋などが倒れさうになった。 (携帯版 『生命の実相第20巻67頁 引用) http://www.sei-inc.co.jp/bosai/1923/ 1923年(大正12)9月1日11時58分、相模湾北部を震源とする海溝型の巨大地震が発生。地震そのものの規模は最大級とは言えないが、人口密度の高い地域と、火災により観測史上最大規模の死者14万人(2003年の武村雅之氏の研究では死者10万5千人)、現在の貨幣価値に換算して約320兆円という甚大な被害をもたらした。 地震の主要動が10分間にわたって継続したと言われ、振幅は安政江戸地震よりも大きかった。 生長の家出現には、個人の生老病死の悩みだけでは無く、時の日本の政治経済、そしてその基盤を揺るがす大きな自然災害に依る大いなる人々の悩みをも、引きずりながら、その大変な悩みの中から、不死鳥の如く飛び立った厳しい人生修行の果てで有りました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.05.21 09:17:02
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