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親類として慶弔の呼ばれごとのお付き合いを、その時々にしていても、家々の繋がりや関係を分かっているつもりで、なんとなく深い理解ができないまま、詳しく知る人もなくうやむやにしていることが多々あるものだ。
代々引き継ぐ家系の中で、若い時とは無関係で意識も軽薄にしていたのだが、年代が積み重なり、世代が交代するような状況になった時に、関係する方々が様々に入り組んで、どのような家系になっているのか、実際の把握ができないことがある。 我が家の一番の直系になる甥っ子がいわく、まったく親戚関係が分からなくて、お付き合いはしていても、詳細の血族関係が理解できないから、親戚の血縁事情を説明して欲しいと願われてしまっている。 そんな経緯の中、今日は先日に亡くなった親類の同世代の七七日法要があって、納骨までの仏事をすべてに恙なく済ませることができ、精進料理を頂きながら、いろいろと世間話の中に、親類関係の確認の話題が中心になってくる。 集まった人々の中で、あちこちで隣通しの話題が聴こえてきて、分かる範囲の情報を御伝えしたのだが、波及的に席についている方々の話題が、それぞれの縁戚関係を問いかけあう姿があった。 そんな集まりの中で、年齢的にも血縁の関係でもキーポイントの立場になっているのが、我が家の先祖であることを、皆さんも一致して認識していてくれて、我が家を中心にしたある程度の家系を、大雑把に説明することができたところである。 ところが、我が家を中心にした分家の流れは把握することができるのだが、代が変わって結婚した先の関係が全く理解してなく、我が家に関係する身内の話題も、あそこにいる方々はどんな関係の人だろうかと訝り合ったのだ。 代が変わっていけば、嫁ぎ先とかお嫁さんの実家の身内が来られて、初対面になれば皆さんが戸惑うことになる。 今日の法事を行った施主のお姉さんも、普段は全く疎遠でいて、時たまご実家で仏の行事でお邪魔した時におあいできるのだが、お互いがこまかなお話もできなく、身近に詳細を教え合う機会とはないものである。 たまたま今日の法事では、納骨の際に墓石に掘られた代々の墓誌をみつけて、我が家から嫁いでいる大祖母を確認することができたから、皆さんとの会話の中で、亡くなった年代と享年を話題にすることができた。 年々積み重なる年齢のお蔭で、高齢の範囲に仲間入りすることとなり、親類関係の説明役になりそうだが、先祖の代々がしてきた営みの中で、縁戚の繋がりが広がってきていることは嬉しく、なかなかにあり難いことでもある。 特に、先代や先々代に世話になったと告げられることは、自分のことのように誇れるのだが、やがて時間経過の中で、お宅のお父さんには世話になって・・・と言われるような、言行をしていかなければいけないと自覚してしまう。 近々に来てくれるのだろうが、甥も親が元気なうちに学び取って欲しいし、先祖代々の家系の重みと尊厳を自覚してほしい。 我が家の先祖たちが一生懸命に励んでくれて、そのお蔭が各家に素晴らしい繁栄をもたらしていることを認識し、世代の継承をしっかりと繋げていけることを期待している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.03.06 23:38:41
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