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地震の揺れには慣れができてしまい、少々暴言すぎで自然から叱咤を受けてしまいそうだが、毎日大きな揺れがあるのだからと諦観してしまい、地震の恐怖感もあるままに、あまり驚きをもたなく冷静に判断をするようになっている。
大きな揺れには身体が拒否反応を示すようになってきたようで、今朝一番で揺れがあった時には、下から突き上げる感触に筋肉が順応してしまい、地震を支えている時の筋肉の働きが、揺れが収まった今でも再現してしまった。 地震が納まっても筋肉は地震時と同じように同調して、揺れに共鳴をしているわけで、地震が起きているのか止まっているのか、暫くは判断ができないくらいの錯覚を覚えてしまっていた。 大震災から一カ月が過ぎて、被災地では日々復興に向けて力強い働きがされているが、一日も早い平安な日が迎えられることを念願しているが、こうした余震の回数と大きさが毎日継続されては、地震不安への精神状態が不安定に揺れ動いてしまう。 下から突き上げられる地震や、大きく横揺れする地震、やけに長い時間揺れる地震、どれもこれも初めて経験することで驚くことばかりだが、こうまでも長く何回も継続されると、やはり一抹の恐怖感が強くなってきている。 今朝一番の縦揺れを経験してから、お昼前の付きあげる大きな地震は恐怖感をもって耐えて、遅延しているJRを利用して、来会する方にお会いするために23階に向かい、昼食後の一服時には、まるで大きな外洋船にのっている気分の地震が起きた。 館内放送が緊急でされて、エレベーターが止まってしまい、覚悟をして長時間の滞在をイメージしたのだが、幸いにも程なく平常に回復されて安心をしたのだが、高所での避難や滞在生活の不安をたっぷりと理解できてしまった。 震災地ではこうした余震に加えて、生活不安や放射能汚染の問題もあり、精神的な不安は計り知れないものがあるが、決して諦めることなく前を向いて励んでもらいたいと激励をさせてもらう。 素人考えでいるのだが、自然活動が目をさまして、長期的な活動気が始まったようにも感じてしまうのだが、生かされている我々人間の叡智は、共存共栄の繁栄を期待できることを夢に持ち、日々唯一無二の有意義な生活を、しっかいと楽しんでいくことを念じたい。 自然界にいる神仏に、心からの安泰な日々を祈念させて頂き、平安な生活が営々と未来永劫反映し、人類の叡智がつみまされることを、心から願ってしまう昨今である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.04.13 09:03:56
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