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人間とは生かされているのですねーと、何度も電話で耳にする相手の方は、年齢が85歳になる先達の方で、毎日元気にコンサルタントの仕事をして、合間には庭木の手入れや父親譲りの俳句の投稿をしている。
若いころと変わりがない、とっても張りのある声と滑舌が素晴らしく、ついつい愚痴で甘えてしまうほどお元気で、相手の先達を若い時そのままに語りあってしまうほどだ。 きょうも仕事の確認の電話を入れて頂き、直面している難問題の進捗を聴いてもらったのだが、多くの方が関与している難問題の事情を理解してくれ、励ましのエールを沈着冷静にしてくれたのだ。 人の能力や評価はどのようにするべきであろうか、時々やその環境によっても大きく違うのだし、時流のなかで捗られること事は、一時に安易に判断ではできないことになる。 時代背景にもよるし、何よりもその人のもつ資質や品格から醸し出される運もあるだろうし、安易には人の評価はするべきではないと思っている。 最近になってから毎朝誦句するのだが、その中の一つが、天を恨めず人を咎めずと言う言葉なのだが、この言葉とて若いころには思いもしなかったし全く無視をしていた意識である。 年齢と共に経験をしなかったことが重なり、色々な環境を体験してから俯瞰できることができ、その見方や価値観にも、人となりの格幅ができてくるのだろう。 つねに虚心坦懐になって、素直なこころでもって世の中に接すれば、人様に悪い印象をあたえないだろうし、すべてを受け入れる度量であれば、そもそも小心な人間関係を詮索することもなくなる。 全てを受け入れる器量をもって、孤高にして、確りと自分を律することを心得ているし、損得でない善悪を考えられる人となりを身に着けていきたいものだ。 そんな無欲な善人である方が、電話で話をした85歳になる先達なのだ。 今迄も様々なことを学びさせて貰ってきたが、波乱万丈の不透明な今こそ、こうした善行を淡々と実行することを目指して生き、いずれは他人にも感化ができる自分でありたいものと願ってしまう。 善人の価値を求めて努力をする姿が、神々しく存在価値を高めることを、一人静かに楽しみができた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.12.08 23:48:22
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