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ものごとの善悪などを判断するのに、人はそれぞれ自分の“ものさし”を使う。
ひとつの行為でも使う“ものさし”によってその評価が変わってしまう。 Aさんにとって善でも、Bさんにとっては悪というようなケースはいくらでも生じる。 「小さな親切、大きな迷惑」なんて言葉もある。 男女の純粋な愛も、見方を変えれば不倫というレッテルを貼られてしまう。 人は誰でも自分に都合のいい物差しを使いたくなるし、事実使ってしまう。一人の人間でもそのときに応じていくつかの“ものさし”を使いこなしたりもする。もちろんボクもそうしている。 ところが世の中うまくしたもので、そんな身勝手がいつでも通用するわけがない。 世間の常識・規則・法律などというものがあって、「待った」がかかる仕組みになっている。それで世の中の秩序がかろうじて保たれている。 ただし権力のある人は「這っても黒豆」で、すりぬけてしまうし、最近は「記憶にない」という便利な言い訳が流行になって通用しているのは腹立たしい。小さな悪だけがとがめられ、巨悪が見逃されるのは古今東西を問わす。 社会のルールを守って幸せなら何も言うことはない。 人間の性(さが)は難しい、社会のルールに逆らうほど愉しいということが多いのだから。 だからなんの権力も持たないボクも、「世の常識というものを可能な限り無視して生きる」ことを生きがいにしているのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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