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中世の“免罪符”そっくりな、統一協会の集金方法を皮肉ってみます。
そもそも免罪符とは、いかなるものだったのでしょうか? ルターが「95ヶ条」で批判した免罪符はどのように販売されていたのだろうか。 もともと免罪符は、十字軍の際、参加を勧めるために、従軍者には罪の許しが与えられるとしたのがその始まりであるが、のちには教会のために金銭を提供するものにも与えられるようになった。 免罪符の販売は、その効能を述べたてる免罪符説教師を先頭とする一行によってなされるが、彼らは目ざす町に着くと、町の中央にある広場に紅の十字架と教皇旗を立てる。 たとえば、免罪符説教師として有名なテッツェルは集まってきた群衆を前にして、次のように口上をきる。 「さて、お聞きなされ、神と聖ペテロがおまえさんがたを呼んでおられるのだ。 おまえさんがたの霊魂や、亡くなった愛する人の霊魂の救いについて、 とくに考えなさるがよい。 司祭、貴族、商人、娘さん、ご婦人、青年、お年寄り方よ。聖ペテロの教会であるおまえさんがたの教会に、今お入りなされ。おまえさんがたの前に立てられ、いつもおまえさんがたを熱心に求めておられる十字架に、参詣なされ」 そのあと免罪符の効能についての口上が続き、最後の締めくくりはこうだった。 「お金が箱の中でチャリン と鳴るや否や、霊魂は煉獄から飛んで出る。おまえさんがたは、それじゃ、4分の1フローリンでこの免罪符のお符をいただきたくないのか。 このお符によって、おまえさんがたは、神聖な不死の霊魂を、パラダイスの祖国へ連れ込むことができるのだよ」 免罪符はそれを買った当人の罪を帳消しにするだけではなく、すでに死んで、その霊魂が煉獄で苦しんでいる人びとのために買っても、効能あらたかなのだった。 ドイツにおけるこのような免罪符の販売には、アウグスブルクの大富豪フッガー家が一枚かんでいた。 ローマ教皇は、フッガー家から莫大な借金をしていた。 ドイツで販売された免罪符の代金は、いったんフッガー家の金庫に収められ、そのうち半額がローマの教皇庁に届られるしくみになっていた。 もちろん、金庫に残った半額は、そのまま借金の返済に当てられたのである。 ドイツはまさに“ローマの牝牛”であった。 (免罪符の販売 より) 世間が批判した霊感商法はどのように行われていたのだろうか。 もともと霊感商法は、美術品としては大した価値が無い多宝塔や壷を、教義を使って売ろうとしたのが始まりであるが、文氏が霊感商法を褒め称えた為、統一協会の集金の為に組織的に行われるようになった。 たとえば、組織に忠実な偽霊能者が次のように口上をきる。 「さてお聞きなさい、ご先祖の霊があなたがたを呼んでおられるのだ。あなたがたや、亡くなったご先祖様の救いについて、とくに考えなさい。罪から救われる為に、多宝塔や壷や霊石を買いなさい。」 その後、めでたく統一協会の信者になると、今度は内部霊感商法のターゲットになる。 「感謝献金をしなさい。あなたがたは、たった△△万円でこの祝福式の特権をいただきたくないのか。 この式によって、あなたがたは、天国に入籍することができるのだよ」 祝福式は当人の原罪を帳消しにするし、更に先祖祝福により、死んで地獄で苦しんでいるご先祖様も献金により救えるのだ。 しかし、一度に祝福できる先祖の数には限りがあり、信者たちは何度も何度も先祖祝福を受けるようになる。 統一協会におけるこのような霊感商法には、文氏の思惑が一枚かんでいた。 統一協会は銀行に莫大な借金をしていた。 定期的に集められた献金は、いったん協会本部の金庫に収められ、そのうち半額が文教祖に届られるしくみになっていた。 もちろん金庫に残った半額は、そのまま借金の返済に当てられたのである。 日本統一協会はまさに“文教祖の財布”であった。 時代は変っても、人間のお金に対する執着は変りません。 宗教が、目に見えない「あの世」を種に集金する方法も、基本的に変りません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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