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み言が生命!

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2022.12.02
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カテゴリ:教会史




霊界の教えで弟子になった人たち

 

一番大変な作業は、肥料をかますに入れた後、それを秤まで運ぶことでした。それは誰もやりたがらないきつい作業でした。一袋は88パウンド(40キログラム)の重さと決まっていました。これを秤まで運べというのです。それで、先生は100袋も運んだのです。上達すると要領が分かります。作業が進むにつれて肥料の山は減って、結局はなくなります。しかし、秤は動かせません。なぜかというと、秤目を合わせるのに少なくとも三分から五分の時間がかかるからです。そうなると一日の作業量を果たすことができません。それで、秤を動かさないで肥料のかますを運んだのです。そんな場合には、かますを持ち上げて投げるのです。

 

一年に一度、模範囚を選びますが、先生が選ばれました。囚人の中には、先生を慕う者が20人いましたが、彼らは霊界から教えられたのです。しかし、彼らがいくら従ってきても、先生は彼らに話しかけることができませんでした

。それで彼らは、休憩時間のトイレの帰りに先生の所へこっそり来るのですが、いくら彼らと話ができないといっても、彼らは先生のそばに来て、自分たちが啓示を受けたことをよく話したものでした。

肥料の一山は、この家の高さくらいありました。幾つかのチームが一つの山で作業をしましたが、彼らは休憩時間になれば、ただトイレヘ行ってくるだけでした。先生は何も言わず、何も知らない振りをしました。しかし、監視員たちは神側の人につきまといました。先生はそれに気付いて、慕ってくる人たちに、近寄らないように言いました。

朝、彼らは監房から狭い廊下へ出てきて四列に並びます。その廊下は狭いのですが、先生を慕う人たちはこの瞬間に先生の所に来て、先生を抱きしめました。これが一番印象的でした。もしあの時、先生が彼らに何か命令をすれば、彼らは何でもしたと思います。

囚人たちは一か月に一度面会が許されました。親戚や家族は、はったい粉を持ってきましたが、彼らはそれを自分一人で食べることができません。同じ監房にいる囚人たちに分けてあげます。

 先生を慕った人たちは、もらったはったい粉を紙に包んで隠しておいて、それでお菓子をつくりました。彼らは毎日看守たちに身体検査されるので、そのお菓子を、見付からないように隠して作業場へ持っていきます。そして、休憩時間に先生の所に来て一緒に分けて食べます。それから昼食を食べたのです。

そのことが何よりも忘れられません。刑務所では豆一粒も、買ったり売ったりします。刑務所で一番大切なものは、米とか豆粒なのです。彼らはそんなに大事な食べ物を、先生のために食べないで持ってきたのです。

彼らは、国連軍によって刑務所から釈放された後、平壌へ行きました。その時は、たった四人だけが先生についてきました。他の人たちは、散り散りばらばらになってしまいました。それぞれ自分の家へ帰ったのでした。しかし、この四人は自分の家へ帰らないで、先生についてきたのです。このようなことは、皆さんにも想像できると思います。

 

務所で一人の弟子を捜した経緯

 

 

 

話を先生が北翰にいた時のことに戻しましょう。先生は刑務所で、失った三弟子を復帰しなければなりませんでした。一昨日の夜話したように、先生は刑務所で許婦人の集団に会いました。そこには彼女の夫と、男性のメンバーもいたのです。

しかし、彼らは先生の話に従わなかったので、先生は再び刑務所へ入らざるを得ませんでした。イエス様の三弟子がイエス様を否定したので、刑務所で死を目前にしていても、先生に仕える三弟子がいなければならなかったのです。

それで先生は、刑務所へ入る時、その三弟子に会えるという希望を持っていたのです。そして、先生は彼らに監獄で会うことができたのです。彼らの中の一人は、元来南韓に住んでいた若者でした。彼は戦争後、階級でしたが、発され、北緯に行って人民軍砲兵将校になり、南韓に縁故があることからスパイとして告発されて、刑務所に閉じこめられていたのです。彼はその当時死刑の宣告を受けて、執行の日が近づいているころでした。

それは、どんなに深刻だったことでしょうか?

刑務所へ閉じ込められる前、彼は人民軍指令部の司令官の下で働いていました。

その司令官の名前はムジョンといい、彼が逮捕されるときその司令官は満洲におり、北韓にいなかったので、帰ってきてから自分の部下が刑務所にいるということを知ったのです。その司令官は彼をとても愛していて、彼を訓練させれば立派な将校になるに違いなく、これからの戦争で大きく役立つだろうと思っていました。その司令官は金日成(主席)に嘆願書を送りました。このようなことが行われていましたが、それ以前に神様が役事されたのです。

その時、彼はすでに死ぬ覚悟ができていました。彼はどっしりと落ち着いて、処刑されるのを待っていました。ところが、昼間幻で白髪の老人が彼の前に現れ、あなたは死なないだろうと言いました。また、それ以前「あなたは南韓から来た一人のその先生によって彼の問題が解決できると言ったのです。ところが、彼はあまり宗教的な人ではなかったので、それを信じませんでした。それで、その幻を忘れてしまい、幻を見たことすら覚えていませんでした。

すると、再びその白髪の老人が現れて、なぜ自分の話を信じてくれないのかとしかりつけ、南韓から来た先生に会うだろうとまた言いました。それでも、信じなかったので、その老人に殴られる夢まで見ました。それで彼は夢の中で、これ以上殴らないでくれと謝り、その幻を信じ始めました。その数日後、彼の刑期が四年の減刑になりました。そのようなことが天の導きによってなされました。先生は刑務所へ行く前に、そこに準備された人がいるということを知って、大きな希望を持っていたのです。1948年2月22日、初めて先生は平壌にある刑務所に投獄されました。その後先生は、彼のいる監房へ収監されたので、彼に会うことができたのです。先生が四月に公開裁判に回された後、その監房に収監された時、彼はその監房の監房長でした。もし、彼がそのようなことを口外しようとしたならば、そのように導かれることはなかったでしょう。しかし、彼は先生に会っても先生が、自分が幻で見た人であるとは思いませんでした。先生がその監房に入っても、彼は先生に気が付かず、それで彼はまた幻を見るようになったのです。

 

白髪の老人がまた彼の前に現れました。その老人は「私が君にその人を会わせてあげる」と言って、彼を宮殿へ連れていきました。その宮殿へ入るために、彼は門を通らなければなりませんでした。そこにはたくさんの階段がありましたが、三段上がっては、敬拝をしなければなりませんでした。これを繰り返しながら、彼は玉座の所まで上ってきました。そこは、あまりにも眩しい光景だったので、頭を上げることができませんでした。

そこでは大きな集会、つまり会議が開かれていましたが、玉座に座っている人が彼に頭を上げるように言いました。そのかたの隣には多くの人がいました。彼は一番末席に座り、頭を上げられませんでした。その時、その白髪の老人が彼に、

大きく敬拝をしなさいと言ったので、彼はそうしました。そして、老人に頭を上げるように言われ、頭を上げて玉座に座っている人を見ると、それは先生の顔でした。それで、その次の日から彼は先生に従ったのです。詳しい話をしようとしたら、何日もかかるでしょう。

 

興南の刑務所で12人を復帰したことの意義

 

そのような、霊界からの教えによって、先生は多くの人を集めることができました。ペテロがイエス様を三回否定しましたが、彼らも先生を三回否定しました。

毎回天が、幻や夢などさまざまな方法で教えて、彼らを従わせるように役事されました。

そのように先生は、刑務所での二年八か月、イエス様の公生涯に当たる期間を送り12人を神側に復帰することができました。そのように12人を復帰することで、イエス様が失ってしまったすべての条件を復帰することができたのです。たとえ、その人たちが先生に従おうとしなかったとしても、先生は釈放された時、彼らの位置に、他の人を立てることができたのです。

先生は、自分のやるべきすべてのことを完遂したので、天使長国家(米国)をはじめとする国連軍が北韓を攻撃して、先生を解放しました。それで刑務所を出てきましたが、四人の人が先生に従いました。国連軍が南韓を解放したその条件で、天の運勢が再び民主世界へ戻ってきて、再びキリスト教を復帰するための役事を始めることができたのです。先生が刑務所へ入る前、平壌にあった集団から先生に従った多くのメンバーがいました。イエス様が十字架に付けられた時、弟子たちが逃げていったので、その集団の中で誰か、先生を信じる人がいなければなりませんでした。金氏(東側集団の指導者)の位置にいる一人を復帰するための条件を立てるには、先生が刑務所から帰ってきたときに、先生に従うメンバーの数が、

刑務所へ入った時と同じでなければなりませんでした。

その金氏の役割をなした一人の人物がいました。それが金元弼氏でした。またそこには三人の女性もいました。一人の男性と三人の女性になったので、先生が金氏集団で復帰したいと思っていた四人を、神側に復帰したことになったのです。それで、先生に従う四人(三人の女性と一人の男性)ができたのです。さらに、刑務所から先生に従ってきた四人の人がいました。先生は南下する時、彼らの中の一人を連れてきました。その人は足が折れていたのですが、先生は彼を釜山の近くまで連れていったのです。

南下する時のエピソードは、他にもたくさんあります。

先生はそのような人数を神側に復帰したので、南韓で霊的な摂理を始めることができました。そこから統一教会が始まったのです。これを全うしたことで、

先生はイエス様が十字架で失ったものを復帰することができたのです。ですから、それ以後の摂理は新しいものでした。それは、もしイエス様が生きていれば、この地上で復帰することができたものでした。

先生は、1960年からそのための摂理を始めたのです。

 

 

受難の50年代と成長の60年代

 

西海岸の地方に金婦人の集団がありましたが、金婦人が亡くなってからは、許婦人が受け継いでいました。お母様はその集団の出身でした。お母様のお母様(洪順愛女史)は許婦人に篤実に従っていた人であり、お母様が四歳の時、その集団へ連れていきました。そして、許婦人は四歳のお母様を祝福したのです。それは、お母様へ使命が継承されることを意味していました。

もちろん、お母様はそのことを知りませんでした。先生が1960年にお母様に会った時、先生はそのような事実が分かりました。神様によって準備されたすべてのことが、1960年に一つになって帰ってきたのです。そうして今の真の父母が現れ、子女の祝福があるようになりました。先生が北韓を離れた時は、1950年の冬でした。そして、1951年に南海岸にある釜山まで下ってきました。

その時から、先生が勝利した1960年までの10年間、激しい迫害を受けました。1960年以降も、私たちは迫害を受けてきましたが、私たちの摂理は徐々に成長することができたのです。

復帰摂理は、カインとアベルの間の闘いです。そのため、摂理ではいつも文氏がカイン側で現れます。いつも先生を迫害する人は文氏です。家庭的レベルにおいても、国家的レベルにおいても、文氏が反対しました。統一教会を政府に登録しようとした時、文教部が登録を取り扱っていたのですが、当時文教部長官であった文氏が、私たちの申請を拒否したのです。

私たちはこれと闘わなければなりませんでしたが、一週間後にはその結果が覆されました。拒否された申請が覆されるまでのその一週間は70年、700年、さらには7000年に該当するのです。

その時、登録されていなかったら、私たちはいかなる宗教的運動もできなかったでしょう。統一教会は1963年五月31日、政府に登録されたのです。その前に、36家庭と72家庭を祝福しました。当時は国家と闘った時期でした。私たちはそのような過程を経験して、現在の位置まで来ました。将来、このような事を、詳細に説明する本が出されると思います。

 

統一運動を完遂するための四つの条件

 

これから私たち食口が、どのように先生に従っていったらよいかについて話します。ヤコブの路程がモーセ路程になりました。イエス様もモーセの路程に従わなければなりませんでした。そして、イエス様の路程が先生の路程になり、先生の路程が皆さんの路程になるのです。

私たちの運動が完遂しなければならない四つの条件を説明します。最初は個人の完成です。二番目は家庭の完成であり、三番目は神の国の復帰です。そして、四番目は世界の復帰です。これらの四つは、私たち統一教会の食口たちによって完遂されるべきであり、もし、先生がこの時点で死ねば、皆さん食口たちがこれらのすべてのことをなさなければなりません。

先生がいなければ、食口たちは今より三倍の困難を経ることになるでしょう。そのことは、もし皆さんが原理の内容を詳しく知ることができなければ、皆さんが完遂するのは不可能であろうという意味です。

 

皆さんに先生が必要だと思いますか?どれほど皆さんが先生を必要としているか考えてみてください。皆さんは先生を家庭より、国家より、そして世界よりももっと必要としなければなりません。

皆さんは、このことをはっきりと知らなければなりません。

 

新しい伝統と文化を確立

 

皆さんは、自分勝手に先生を判断してきたと思います。「先生は東洋的で、先生の思考方式は違う。先生は東洋で生まれ育ったので、西洋的な思考方式は知らない」と思っていることでしょう。しかし、皆さんは神様のみ旨が西洋スタイルで実現されると思いますか?そうはできません。なぜなら、私たちは新しい個人、新しい家庭、新しい氏族であるからです。

私たちはこの地上を復帰する最初の人々であるからです。ですから、伝統がないのです。私たちには、決まったスタイルもないし、何の文化も持っていません。私たちはこれから新しいものをつくらなければなりません。今から私たちは新しい慣習をはじめ、新しい伝統、文化、人生、生活スタイル、道徳、法律をつくらなければなりません。準備はできましたか?皆さんは、もっと自信満々でなければなりません。皆さんは自分の人生よりも、もっと自信を持つべきです。これは変更できない、絶対的な道なのです。

先生が、今回皆さんを訪問した目的は、このようなことを、皆さんに確信させることであると思っています。皆さんはいつも、このことを覚えていなければなりません。私たちは何かをする時、いつも分別された方法でするべきであり、世の中の人と同じやり方であってはいけません。先生が何かをしようとする時、そこにすでに走る準備をしている誰かがいなければなりません。もし皆さんがそういう者なら、摂理が短縮されるでしょう。

皆さんはいつ、先生に侍ることができなくなるか分かりますか?先生はいつまでも、皆さんと一緒にいることはできません。

10年、20年……、これからどのくらい先生が皆さんのそばにいられるかは、誰も知りません。私たちが国家を復帰することができないと、他の国が私たちを反対するでしょう。もし一つの国を神側に復帰することができたら、その基盤から、私たちは世界的な次元へと発展していくことができるのです。しかし、地上でこのような使命を果たさなければ、私たちの子孫が苦労しなければなりません。






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最終更新日  2022.12.02 10:14:00
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