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テーマ:日本の古典文学は面白い(91)
カテゴリ:日本の古典
衰へたる末の世とはいへど、
猶九重の神さびたる有樣こそ、 世づかずめでたきものなれ。 露臺、朝餉、何殿、何門などは、 いみじとも聞ゆべし。 怪しの所にもありぬべき小蔀、 小板敷、高遣戸なども、めでたくこそ聞ゆれ。 「陣に夜の設けせよ」といふこそいみじけれ。 夜の御殿のをば、「掻燈疾うよ」などいふ、 まためでたし。 上卿の、陣にて事行へる樣は更なり、 諸司の下人どもの、したり顔になれたるもをかし。 さばかり寒き終夜、此處彼處に睡り居たるこそをかしけれ。 「内侍所の御鈴の音は、めでたく優なるものなり」とぞ、 徳大寺の太政大臣は仰せられける。 戦争 飢饉などで世の中が荒れ果て 餓死者が出るようになっても権力者の宮殿だけは豪華 ってな現象は 洋の東西を問わず共通らしい。 江戸時代におきた有名な 天明の大飢饉 でも支配階級であった武士の餓死者はいない (農民の餓死者は何十万人だか何百万人だか とにかく数え切れないらしい) どのような政治体制になっても 搾取するものと搾取されるものは必ず現れるわけで 現代のワーキングプアの問題とかも 人類の歴史とともに続いてきたのだろう。 搾取しているのはもちろん政府や宗教団体で 資本主義社会ではそれに大企業も加わる。 華やかな宮殿も何万何億の民の屍の上に築かれたものだ 兼好の書き方もいちおう褒め称えているけれど 実は痛烈に皮肉ってるように思える お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.01.31 09:22:13
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