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January 3, 2009
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さて、よく「俺は無神論者だ」という人がいます。

「無神論」という言葉が、例えばヨーロッパではどのような戦いの中で、勝ち取られてきた言葉か――自称「無神論者」の人たちは理解しているのでしょうか。「神」の権威を振りかざす王や権力者との間で行われた戦いの熾烈さを、想起しているのでしょうか。少なくとも、「真の無神論者」は、真剣に信仰に生きている人をバカにしたりはしません。おそらく「真の無神論者」がもっとも嫌悪するのが、年中行事として形骸化した祭式でしょう。それこそが、権力者が作り上げた「虚構の共同体の維持装置」なのですから。

しかし、日本の自称「無神論者」はしっかり、初詣には行くのです。神殿の前でしっかり「本年一年無病息災、商売繁盛」と祈るのです。言葉の厳密な意味で「真の無神論者」が最も批判するのは、日本的な「仮称無神論者」かもしれません。

「初詣は宗教じゃない。みんなやっている習慣なんだ」。しっかり神だのみしている事実を覆い隠すように「仮称無神論者」は言います。この「習慣」というのが曲者なのです。「習慣」とは、権力者が作り上げた「虚構の共同体の維持装置」なのです。ミシェル・フーコーが「権力のまなざし」として感じ、ヴァルター・ベンヤミンが「勝者の歴史」と見抜いたものに通じるのです。そして、まさに仏教が疑問を投げかけた、サンカーラ(輪廻)そのものなのです。

祭祀の時祈願されるのは、自己の何面の深化にかかわる問題ではありません。富、健康、長寿など、そこで祈られるのは「今の自分」を延長することにしか過ぎません。神社などに初詣に行って「心豊かになりますよう」「人の痛みをわからせてください」とか「世界の平和」や「核兵器廃絶」を祈っている人は、あまりいないでしょう。そのような信仰の形からは、「今の自分」「今の社会」に対する反省や疑問はなかなか出てこないのです。

プンナカという弟子の「何故、世間では儀式は行われるのですか」という質問に、ブッダはこう答えました。


「人々が儀式を行うのは『今の自分』に執着しているからである。老いなど『今の自分』と異なるものに不安と嫌悪を抱くから儀式を行うのである」(『スッタ・二パータ』、V)


「今の自分」は「今の社会の仕組み」「今の世間の常識」に複雑に呪縛されています。「今の自分」「今の境遇」の延長に対する欲望は、「今の社会の存続」を何の疑いもなく、受け入れることになるのです。

【ブッダは歩む ブッダは語る】友岡雅弥著/第三文明社





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Last updated  April 30, 2019 02:06:17 PM
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