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December 30, 2008
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「歓待者はあくまでも、自らが放浪者、亡命者たることを知っており、またそれを望むからである」と、ルネ・シェレールは述べています。(『歓待のユーピア』安川慶治訳、現代企画室)。シェレールはフランスのラジカルな実験大学であったヴァンセンヌで、ミシェル・フーコーの後輩だった哲学者ですその時彼は、少年愛者というレッテルを貼られ、スキャンダルの渦中にありました。その時、フーコーが彼を教員にしたのです。シェレールだけではなく、様々な理由で、行き場のなくなっていた人々がここで、フーコーによって職を得ました。そういうフーコーの姿を想った上で読むと、この言葉はよく理解できます。

歓待――他人の存在そのものを、喜ばしいと感じ、自分のなかに受け入れること――そこには、自分と他の上下関係は一切存在しません。

「歓待」については、また第一部で詳しく述べましたが、ブッダこそ「歓待者」でした。どのような身分の人であっても、「ようこそおいでくださいました。こちらへ、どうぞ」と、敬語で語る人であることが種々の経典に出てきます(例、不浄物を清掃するスニータの受戒の時、『テーラ・ガーター』620以下)。

また、ブッダとその弟子たちのライフスタイルであった托鉢も、他者の「歓待」に生死を委ねるものなのです。他人の善悪が自分の生を維持してくれる、という確信に生きるのです。

つかれたでしょう。ようこそいらっしゃいました。
つかれたでしょう。どうぞ、こちらへ。

――こういう言葉が街角でたくさん語られるのが「豊かな社会」だと思います。

そういう意味から言えば、日本はどんどん豊かでなくなっているのかもしれません。日経平均株価、昨日のテレビ番組、「ウザイ」「イケテル」……。こういう言葉が行きかう街。

自らの心のただなかで、他者の苦しみや喜びを感じる勇気のもてる人。その人は、自分の苦しみから目をそむけない人でしょう。そして、真の喜びを知ることのできる人なのでしょう。

【ブッダは歩む ブッダは語る】友岡雅弥著/第三文明社





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Last updated  April 30, 2019 02:06:54 PM
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