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January 9, 2009
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仏教の思想的特徴を現す言葉として、「諸行無常」という言葉がよく使われます。すべての「行」は「無常」である、というのです。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」です。でも、いつも言いますが、インドには日本的な梵鐘はありません。

このむなしい、わびしい響き。これが日本的仏教に流れる通奏低音です。いつのまにか、「諸行」は「すべての行為」となってしまったのです。厭世的に、すべての人間の行為はむなしいという響きを「諸行無常」は持つにいたったのです。

しかし、もともと「行」を表す言語、サンカーラ(サンスクリット語ではサンスカーラ)には、すべての人間の行為ではありません。実は、ヴェータ・ヒンドゥーの伝統では、まさにもろもろの現実の願望達成のために行われる慣習的祭祀が、「サンカーラ」と呼ばれるのです。

「サンカーラ」とは、「完成すること」と言う意味のパーリ語です。人生の節々、季節の節々に種々の慣習的な祭祀を満足に行うことができて、人間は財産・子孫・長寿という願望を達成できる人間として完成されていくというのです。しかし、ブッダはその世間的慣習の背後、いや基底に儚(はかな)き「今の自分」への執着、「今の自分」を象徴するうつろう富や長寿への欲望、「今の自分」と異なるものへの言われなき嫌悪を見たのです。それが「諸行無常」の意味するものです。

今までにも述べたように、サンカーラは、サンサーラ(輪廻)の激流で漂流しながら漂流物を掴もうとするものなのです。祭祀の根底には、行う側、行ってもらう双方に、自分を呪縛する「欲望」があるのです。それをブッダは発見したのです。それは人類の歴史上の一大精神革命だったのです。血塗られた20世紀を分析したアノルドとホルクハイマーの視点との類似に思いを馳せてしまいます。

「人間の行う犠牲の行動(筆者注=供犠のこと)はすべて、計画的になされるときは、その捧げる相手である神を瞞着(同=騙して従わせる)するものである。それは神よりも人間の目的を優先させ、神の力を解消させてしまう。そして、神に対する瞞着は取りも直さず不信心な神官が信心深い信者たちの前に執り行う瞞着に移って行く。詭計(同=策略)は儀礼に由来する」(マックス・ホルクハイマー、テオドール・アノルド「オデュッセウスあるいは神話と啓蒙」『啓蒙と弁証法』徳永恂訳、岩波書店)

【「ブッダは歩む ブッダは語る」ほんとうの釈迦の姿 そして宗教のあり方を問う】友岡雅弥著/第三文明社





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Last updated  April 30, 2019 01:53:40 PM
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