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カテゴリ:心理学
生と死が同居する『こころ』 心理療法家「まどか研究所」主宰 原田 広美
とうとう『こころ』を扱う回になった。拙著『漱石の〈夢とトラウマ〉』でも『こころ』の章は、気を配った。なぜなら主人公の親友Kと、語り手から「先生」と呼ばれた主人公が、共に自死したためである。 Kは、2人の下宿先の「お嬢さん」と先生の婚約直後、自室で自害した。お嬢さんへの恋心を秘めつつ、「肉欲を超えた精進」を目指したKは、先生とお嬢さんの婚約を知ると、目標を成しえていない自らの弱さを痛感したのだろうか。 一方、婚約と同時に親友をなくした先生は、夫婦になっても妻に打ち明け話をしないまま、子宝に恵まれないのは天罰だといった。また義母を看取った後、明治天皇の崩御に巡視した乃木将軍に刺激されたかのように、「明治の精神に殉死する」という言葉を残し、死を決意する。 だが、各々に「人間不信」の念を胸に宿すKと先生は、そもそもともに「死」に近い人だったのではないか。人(の心と身)にはいつも、「生の部分」と「死の部分」が同居している。そして「死の部分」が「生の部分」を超えたときに、人は「死」に向かい始める。 Kも先生も、「人間不信」を抱えているがゆえに、自らの「死の部分」を太らせ、人生の「夢や愛」を結実させることはできなかった。「人間不信」のベクトルは自身にも向かい、健全な自己愛を育みそこね、ナルシズムの中で「死」を迎えてしまったように見える。 Kの「品減不信は」、おそらく厳しすぎる実父や、医者になる道しか許されない養父の、影響であっただろう。先生のそれは、父の亡き後の叔父による財産の横領と、先生の娘との結婚の強要にあったとされる。「人間不信」を胸に宿した先生は、養父からの勘当で「人間不信」に陥ったKに共感し、助けようとして自らの下宿に連れて来た。 だが『彼岸過迄』の市蔵は千代子を、『行人』の一郎は妻の直をあやせなかったように、自らの痛手を癒さないまま他者を癒すのは難しい。『こころ』の先生もKを救うことはできず、逆に「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」という厳しい言葉をKから浴びなければならなかった。
【松目漱石 夢、トラウマ—19—】公明新聞2021.11.12 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 25, 2023 06:20:14 AM
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