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先にも書いていますが
『「あたご」裁判(4) 「不明」どころか「回避行動」でしょ』 http://plaza.rakuten.co.jp/whitesand72/diary/201106020000/ という記事の中で、白砂青松さんは「右転は回避行動だった」と断じています。 説としては面白いのですが、いかんせん、その説に従うと清徳丸の行動に矛盾が生じてしまうのは 先の記事でも書いています。 これをコメント欄で突っ込んでみたのですが、その反論の内容について首を捻らざるを得ませ ん。 自分で何を言っているのかわかっているのでしょうか? コメントの中で、彼はこんなことを言っています。 (白砂青松さん) >おかしいでしょうね。 > 判決は、『清徳丸は一切の回避行為をとらず』と断じているのですから。 > 船はルール上、回避行動を取る場合には右転するのです。ですから、そこに「右転」の事実があるなら、それは「回避行動がなされた」という可能性を検証すべき。 > それに言及しない、もしくはその理由を「不明」と逃げるなら、「一切の回避行動をとらず」などと断定することもできない。 >逆に、「一切の回避行動をとらず」というなら、少なくともその右転の理由が「回避行動ではなかった」という証明が必要。 > > その点で、この判決の言っていることには一貫性が無いってことです。 つまり 1)地裁の内容では『清徳丸は一切の回避行為をとらず』と断じている 2)しかし、右転の理由には「回避行動だった」という可能性がある。 3)にもかからわず、回避の理由を「不明」としている →回避の可能性がある以上、「不明」とするのはおかしい という論法です。 一見すると「なるほど」と思うのですが、よく見るとこの論法は変です。 順番に検証してみましょう。 1)地裁の内容では『清徳丸は一切の回避行為をとらず』と断じている 確かに判決要旨を見てみると 「清徳丸は一切の回避行為をとらず、あたごの艦首ぎりぎりの位置を通過しようとして衝突した。」 と書いてあります。 ここだけ見ると、白砂青松さんの主張は正しく見えます。 しかし、白砂青松さんは切り貼りの名人です。その前後の文章を見てみる必要があります。 > <裁判所が特定した航跡> (中略) > 午前4時4分ごろに右転しなければあたごの艦尾500メートル以上のところを、 >午前4時5分40秒すぎごろに右転しなければ200メートル以上のところを通過する針路にあった。 >にもかかわらず大幅に右転し船首をあたごの艦首前方に向け、衝突の危険がある針路となった。 > 清徳丸は一切の回避行為をとらず、あたごの艦首ぎりぎりの位置を通過しようとして衝突した。 読めばわかりますが、この文章は航跡を時系列に沿って説明しています。 白砂青松さんの解釈での 「午前4時4分ごろに右転から始まって衝突するまでの全て」 という時間的な意味で「一切」を解釈すると、 前の文章で、せっかく4時5分40秒すぎの「危険な航路になった」という行動を説明し、 後の文章で、 「あたごの艦首ぎりぎりの位置を通過しようとして」 とタイミング(=時間)を指定して行動を説明しているのに、 この部分だけ突如 『清徳丸の午前4時4分(あるいはそれ以前)からの行動の説明』 というわけのわからない文章になってしまいます。 →ひょっとすると、「大幅に右転し」を「午前4時4分からの一切の行動」だと強弁してくる 可能性もありますが、「衝突の危険がある針路」になったあとの話ですから、 4時5分40秒すぎ以降の話であるのは明らかです。 ここでの「一切」は「回避に関してさまざまな選択肢があったにもかかわらず、何も行っていない」 という意味での「方法」に関する「一切」と解釈するべきでしょう。 その証拠に、あたごの責任を認めた海難審判での裁決を見てみると その後同艦に明確な方位変化がなく,同艦が前路を右方に横切り衝突のおそれのある態勢で 接近する状況であったが,警告信号を行うことも,行きあしを止めるなどの衝突を 避けるための協力動作をとることもなく続航中,(中略)衝突した。』 とあり、衝突直前に清徳丸が回避行動を何も行っていないことを認めています。 ちなみに、この点を突っ込まれると 『「衝突直前には一切の回避行動をとっていない」と清徳丸の乗組員が証言したのではないのですから。』 とコメントしています。 おまえは何を言っているんだ? 清徳丸の乗組員が死亡認定されているのに、どうやって清徳丸の行動を特定するのでしょうか? この理屈が通るならば、 「清徳丸の乗組員が証言していない」検察側の示した清徳丸の航跡も否定されます。 2)以降については別記事で検証します。
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最終更新日
2011年06月16日 22時33分00秒
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