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かりゆき日記

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2011.01.08
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カテゴリ:カテゴリなし
今更だけど、年末年始のお休みは
初日は少しお寝坊しつつ、協会主催ということになっている強化練習に顔を出すために
本当は閉館日なのに無理やりあけてもらっている体育館に出向き
本部の奥の机を占領して書類を広げ細かいあれこれの事務作業なんかを片付けながら、
小学生から一般まで、練習に励んでいる様子をなんとなく眺めて

30日31日はお決まりのお年とりの準備で買い物に行ったりお掃除したり
御供を袋詰めしたりして
んでまたまた紅白の最後を見れずにお堂の外でじーっと座って
二年参りにやってくるご近所さんと
「あ、おめでとうございます~」とかなんとかやってて
うちで出してるおみくじを一枚こっそり引いてみたならば
縁談のところに「障りあり」などと出てて、ああ今年も結婚できないのかなあ、と
星まで出ていてきんきんに冷えた元旦零時二分に心まで凍りつき、朝方就寝。

やや寝不足のまま午後1時から行われた村の新年会に出席し
2日3日は父の年始参りに伴い1日中運転手をして肩凝って
やっと、4日だけ、なんかやっと「ふつうの休み」という感じで
今更ながら部屋の掃除だのなんだのして過ごした感じ。

そんな中でも、夜中はかなり遅くまで起きてて、
HDDレコーダーとかに録りためてあったあれこれのテレビ番組を見たり、
DVDにダビングしたりしてたのだけど
なぜか録ってあった、「わたしが子供だったころ~笹野高史~」が
ずいぶん印象深くて、最初は見るだけのつもりだったのだけど
思わずDVDにダビングしてしまった。

細かい内容はともかくとして
淡路島に帰郷した笹野高史さんが、子供時代の思い出を語りながら
ミニドラマでの再現もあわせて綴っているような番組だったのだけど
たまたま、町の片隅でわらび餅屋さんを見つけ
「懐かしいなあ」「味は昔と変わらないなあ」「昔はこれがごちそうでさあ」と
うれしそうにいくつも頬張っているうちに、
なぜか、笹野さんは言葉を失い、頬には涙が流れ、
わらび餅を手にしたまま、嗚咽がやがて慟哭に変わっていったシーンは
かなり強いインパクトを与えてくれた。

笹野さんにとって、お父さんの思い出は、顔に白い布が乗せられたものだけということ。
明るくて気前が良く、末っ子の笹野さんを可愛がり、映画によく連れて行ってくれたお母さんも
まだ幼いときに病死したこと。
やがて親戚の家に預けられ、肩身の狭い思いをしてきたこと。

故郷の町でふと出合った
昔と変わらないわらび餅の味というタイムマシンはきっと
その味とか舌触りとかと一緒に、なにか
笹野さんの心のずっと奥にしまってあった
思い出、というよりは、感情そのものとかそういうものを
ぐっと掴んで、本人の自覚もなしに突然、引きずりだしてきたのかもしれない。

おいらにも、そんなものはあるんだろうか。
自分たちの親の世代に比べれば、何事にもずっと恵まれていて
あり余る情報の中で生きているおいらたちが
この先何十年後かに、ふと、そんなものに出会うんだろうか。

夜中の2時にそんなことを思いながら
雪も降らないお正月は
淡々と過ぎていったのでした...





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最終更新日  2011.01.08 23:03:34
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