ブルートレイン
鉄道の旅というのは、やはり、新幹線なんかじゃなくてガタン、ゴトン、と走る「列車」の旅っていうのがなんか、味わいがあるというか、人の心にやさしい時間を与えてくれてちょっと、ノスタルジックになったりもするんだろう。先日のJRのダイヤの改正で東京以西を走るブルートレインがすべて廃止でそのチケットがわずか10秒くらいで売り切れたとかなんとか。NHKまでもが特番を組んで、別れを惜しんだ。おいらが寝台特急を利用したことがあるのは高専時代の2年生、修学旅行のときの一回だけ。(あと1回だけ鈴鹿から帰るときに名古屋から乗ったが、寝台車両ではなかった)ちなみに、あの時代の我が高専の修学旅行はめっちゃ豪華で(ってもうろ覚えだが)1日目 しなのと新幹線で京都へ。半日観光から大阪南港へ フェリーで船中泊 ちゃんとレストランでご飯も食べるし、2等室(ざこ寝)ではなく 6人部屋とかの2等寝室 まだ未完成だった瀬戸大橋を下から見ることが半ば義務だったなあ。 (この辺が高専の修学旅行)2日目 別府に朝到着。地獄巡りなどをしながら、地熱発電所を見学 (この辺も高専の修学旅行) そのまま阿蘇に移動、阿蘇山を見学し、近隣の温泉に宿泊。 外輪山の雄大さ、その規模にかなり感動した記憶があるなあ。 「家族へのお土産」という名目で買った熊本の焼酎で、夜は宴会。 先生も、ま、その辺は折り込み済みというか。 あの頃の高専は、そんなもんだった。(たばこ部屋もあったしw)3日目 熊本城、水前寺公園などを訪れた後、本田技研の熊本工場を見学。 XLRとかFTRとかの組み立て工場を見てめっちゃ興奮。 (この辺もやっぱ高専の修学旅行) 島原から長崎に移動して長崎に宿泊。 家族へのお土産と称した長崎の焼酎を...(以下略)4日目 朝から長崎市内自由行動。本当は仲のよかったTくんと二人でまわる 予定だったのだが、Tくんが急に熱を出し、ホテルに。 みんなはもう市内に出かけてしまい、一人で長崎の町を放浪するはめに。 っていってもまあ、観光名所ではクラスメイトと出会うわけで、 ま、適当に楽しかったかな。 長崎の原爆資料館では、ちょっと言葉を失ったり てか、オランダ坂では、不思議な巡り合わせで、ちょっと忘れられない事件もあったり 福寿屋のカステラを山ほど買っていったり... で、何を言いたかったかというとその長崎から名古屋まで戻るのが当時まだ存在した寝台特急「さくら」だった。わお、ブルートレインだ。子供の頃からその名前を覚えてあこがれていたブルートレインが、目の前に!そして、それに乗って帰れる!!と、駅のホームでちょっと感動している高専生多数(含む俺)。で、そんな興奮気味の「鉄オタ」たちに、冷ややかな視線を送る、ノーマルな高専生も多数...そんな微妙な空気の中、ブルートレイン「さくら」号は長崎駅を発車し...でも、さすがにそんなこんなな修学旅行の最終日の夜はガタン、ゴトンと揺れる寝台客車で、たぶんぐっすり眠ったんだろうな。あんまり、車内のことは覚えてないなあ。先日、熊本と東京を結ぶ最後のブルートレインが走ったときNHKの武田アナウンサーが、ニュースの締めに「私も、この列車で故郷を離れました」と感慨深げに言ったそうで(wiki参照)きっと、そんな思い出をいっぱい積んでいるからこそ、ブルートレインの廃止には、みんな何かしらの反応をしてしまうんだろうな。そういえば、おいらも、就職が決まって名古屋に出るとき(そのときはすぐ長野に戻れることを知らされていなかったこともあって)特急しなのの自由席の窓で、姨捨から遠ざかっていく善光寺平にいろいろな思いを持ちながら「さようなら」とつぶやいたなあ...あした、「さくら」号は一日限りの復活運転をするそうな。かの福山雅治も、このさくら号に乗って上京したそうな。電気機関車が放つ、いっそう甲高い汽笛と牽引される列車独特の「ガタコト」感。今のおいらには、現実的にはそんな夜行列車のゆるやかな時間よりも現実として、新幹線や飛行機が実現してくれる「移動時間の短縮」がなによりもありがたかったりもするのだがどこかで、時間を作って、そんなのんびりとした列車の旅をいつかしてみたいなあ...と思ったりもしている今日この頃なのでした・・・ああ、あしたもお休みも、卓球の大会の組み合わせだ...